葬儀

「サイン」

ご葬儀の打ち合わせの際、どんなご葬儀にしたいか、どこでするのか、何をして差し上げて、何を着せてあげるのかなど、細かいことを決めていかなければなりません。

近しい人の死を受け入れられず動揺されているなかですが、打合わせを進めなければなりません。

そんな精神状態であっても、ご葬儀の段取りなどを決めていくには、当然ながら費用の話をせざるを得ないわけです。

 

中には「いくらかかってもいいからやってあげたいことを全部してほしい」という方もいらっしゃいますが、すべての方がその想いはあってもできないこともたくさんあります。

私も先ずご遺族がどうしてあげたいのかしっかりお聞きし、後悔のないようにと様々な提案を務めて行いますが、費用的に「それはいらない」と、おっしゃられるとそれ以上お勧めするのは難しくなります。またご負担をかけないカタチでのご提案をしても、ご遺族もお疲れの中ですので仕方がありませんが、すーっと聞き流されることもございます。

 

現場でこんなことがありました。

その時のお客様は、納棺も済まされ、式場の飾りも終わりみなさま一息ついたころ、ボーっとお柩を少し不安そうな顔で眺めてらっしゃいました。

 

「どうかされましたか?」とお声をかけますと、

「打ち合わせの時は、お化粧はいらないと思ってそう言ったけど、やっぱりしてあげた方がよかったかなぁ」と、ぽつりとおっしゃられました。

「今からでも充分間に合います。是非お化粧してさしあげましょう」とお話しし、

お孫様が持っていらっしゃった化粧道具を使い、皆様の手でお化粧をしていただきました。

「きれいになったわ、ありがとう!」

あの時の喪主様のご不安な表情は、そういうことだったのかと理解し、ご不安が取り除かれた様子をみて安堵しました。

 

こんな方もいらっしゃいました。

お通夜30分前、喪主様が急になぜかそわそわされていました。

「どうかされましたか?」とお聞きしたところ、

「いや実は、遠方の親戚は来ないって言っていたのですが、急に来ることになってしまって…」と。

よくよく聞きますと、その親戚はご年配の方で、特に冠婚葬祭などの付き合いなどに関してはとてもきっちりとされている方だとのこと。

ところが近しい気の知れた家族のみでの葬儀の予定であったため、粗供養もお食事も何もご用意されておりませんでした。

これで何かあれば故人にも申し訳がない、どういたらよいだろうと、そわそわしていたということです。

それをお聞きしまして、

「粗供養でしたら、すぐにご用意できますよ」

「お料理はお近くのお寿司屋さんに今から電話しておいて、お通夜終わりにすぐに取りに行っていただければ間に合います、大丈夫ですよ」とご提案させていただきました。

なんとか両方とも間に合い、親戚に粗相をすることなく、無事に葬儀を終えることができました。

 

「あの時はそう思ったけど…」「一度こう言ったからもうダメですよね…」「やっぱりこうしてあげたい」「こう言われたのですが…」というのはご葬儀に関してはよくあります。

このようなお言葉がでて、そのまま葬儀が終わってしまったら、これは紛れもなく「後悔の念」が残るご葬儀になってしまいます。

 

動揺している中で、慣れない葬儀に関することをひとつずつお決めになるのですから、打ち合わせの時には気付かなかった、ご葬儀が始まってから思い出した、そんなことはあって当然です。

また良かれと思ってのことですが、親戚、友人、近所の人がそれぞれ違う意見をもってくる場合もあります。

皆の意見を尊重しつつ、その時に完璧にすべて決めるなんて不可能といっても過言ではありません。

お打合わせの段階で、ご不安や悩みをおっしゃっていただける方はまだよいのですが、「無理だろう」「これくらい自分で何とかする」と、ぐっと口を噤む方も多くいらっしゃいます。

 

上記のように、現場にてご遺族のサインを見逃さず、上手くこちらから提案できるようなケースもございますが、もちろん物理的に不可能な場合もありますし、ご提案できない事例も数多くあるのも事実です。

お打合わせの時に、どれだけ一つひとつ丁寧にお話をお聞きすること、ご要望をくみ取ることの重要さが身に染みます。

 

現場で、急なお客様の申し出に対して、「できません」ということは簡単ですが、「こうしてはいかがですか?」「このようにやってみられませんか?」等の助言はできるはずです。

「後悔のないお葬式」をしていただくためには、最後まであきらめるわけにはいかないのです。

 

私たちスタッフには、脈々と受け継がれている理念がございます。

「自分がして欲しいことを、人にして差し上げなさい」

この理念をもとに、常に故人様やご遺族に対して何をして差し上げられるか、お客様が出されているサインを見逃してはいないかと考えております。

 

そして、サインをひろい、何かしらお手伝いが出来たときにはじめて、葬儀スタッフとしての存在意義を感じるのです。