AI化とはいえ。
たまたま先日、サピエンス全史についての話題がでまして、そのことについて考えてみました。
続編のような形で、ホモ・デウスという本が出版されましたね。
人間がどう進化してきたのか、人間が行うことすべてにつながりがあり、歴史に興味のない
人でも、大変引き込まれる本が、サピエンス全史。
それに対して、これからの人間の進化が究極のAI化という形になり、なんと無生産階級という
恐ろしい人間の差別化が成り立つ世の中ができてしまうというもの。
人間の進化、それは医学でも産業でも農業でもなんでもそうですが、発展と同時に、それが
手放されなくなり、逆に進化を遂げた技術に支配されているという現状にあるということ。
身近な話でいえば、電気なしじゃ暮らしていけないよな!という感じのことでしょうか。
我々人類の知識を、どんどんコンピューターに注ぎ込み続ける時代。
それは、AIに支配されているということ。
昔のSF作品ではないですが、コンピューターが人間の頭脳を超え、人間を支配するとか、
かの有名なターミネーターや、ブレードランナーの世界です。
でも、やはりこういった映画やSF小説でもありますが、人間の持っている心という部分には、
どれだけ知識を与えられたコンピューターも最終的には敵わない・・・ことを信じたいです。
特に、葬儀の仕事に携わっておりますと、どんどん進化は遂げていっても葬送ということにおいて
、その形は変われども、絶対に変わらないであろう芯の部分というものはあると思います。
尽くすとか、無償の、などこういった感情表現は、簡単に支配されるものではないと思うのです。