少しでも
毎日暑い日が続きます。
先週、早いもので父の一周忌の法要が済みました。
兵庫県に住む伯母に、
お葬式以来、久しぶりに会いましたが、まだ受け入れていない様子でした。
父の姉にあたる伯母としては、父の方が先に逝ってしまって、
「順番が違うわよ」と思っているのだと思います。
普段会えない親戚が集まりましたので、少し楽しそうでしたが、
最後に「今度は良い事で皆あつまりたいわねぇ」と言っていました。
(確かにそうですね。。。)
この機会に少しでも気持ちが切り替わればいいのですが。
さて、その法要のあとにお寺様とお話をしていましたら、
なんでも質問してもらっていいですよとおっしゃるので
親戚の誰かが「どの宗派でもお仏壇を動かすときは、
お性根を抜いてもらわないといけないんですか?」と質問しました。
ご住職は「ほんの少し動かすだけでも、お性根を抜くのが基本ですね。
ただ、宗派が違うのでそのお寺様とよく相談されたほうがいいですよ」とのこと。
むやみに動かせませんので、
はじめのお仏壇の設置場所はとても重要になりますね。
日本三大祭りのひとつ天神祭が一昨日終わりました。
1000年を超える歴史のある祭。
途中幾度となく中止と再開を繰り返しながらも、今まで守り続けて来た伝統文化。
携わって来た人たちの想いがそこに感じられます。
お葬儀もまた時代とともに少しずつ変わりながらも受け継がなくてはならないと
私個人は考えています。
故人様とゆっくりとお別れ出来る空間と意義を守り続けてまいります。
Facebookやtwitterなど、いわゆるSNSというのはなかなか手が伸びにくい
ものだったのですが、最近は若者に限らず様々な年齢層の方々が
うまく利用されていらっしゃるようです。
私もいろいろとチャレンジしておりますが、世の中広いもので、
同じような考え方や似た境遇の方々の反応がみれるというのは
なかなか面白いものです。
世界中の方が参加されているわけですから、どうしても実生活で
視野が狭まりやすい環境を少しでも打破するのには良いかも、
との思いもありやってみたりしてます。
特に専門的な分野に関しては、それこそ自分では読みきれない本や
雑誌、講演会や専門書を垣間見ることができ、大変参考になることも
多いのです。
インターネットで、情報を探していても、その情報の取捨選択は、けっこう
大変です。
しかし、SNSで似通った考えの方が見ている情報は、手放しではないながらも
参考にしやすいものです。
なかには、お坊さんや石材屋さんなんかの話もでてきたりして、
ほー、へーと、思うことも。
いろんなところから、葬儀の情報を見ることもできます。
敢えて、プロではなく一般のかたの素朴な疑問って大切だなー
と思うのです。
今日と明日は天神祭ですね。
調べてみると日本三大祭りの一つと言われ、東京の神田祭、京都の祇園祭、大阪の天神祭となります。毎年130万人もの人が訪れるとのこと。
すごい人ですね。
市内の繁栄ぶりを菅原道真公の御神霊に見ていただき、さらなる繁栄を祈願するために、氏地を巡行するとのことです。
陸渡御、船渡御は神様にご覧いただき御加護を祈願し、奉納花火は神様にご覧いただくために打ち上げるのだとか……。ギャルみこしは……これもご覧いただくためでしょうか?
私ども葬祭業でも神様に携わることがあります。祭りの歴史を紐解いていくと色々と繋がりが見えてくるかもしれませんね。
「ありがとうの反対語は何でしょう?」
通夜後のお寺様の法話です。
私は「ありがたくない」かと思ったのですが、
正解は「あたりまえ」
だそうです。私達が当たり前と思っている事も、よく考えれば、
有難い事ばかりなのだと・・・
病気になって初めて、健康である事のありがたさを知る、
親を亡くして、親のありがたさを改めて知る。
スベテノ事は有難い事、日々の生活に感謝の気持ちが必要だと
教えて頂きました。
以前、お寺様が法話で語っていたことですが、
「自分のこだわりを捨てて物事を考えてみる」という内容の法話でした。
一度捨てて真っ白の状態で多角的に物事を考えると今まで見えなかったことが見ることができる。
ご法話を拝聴しながら、自身も考えてしまいました。
毎日暑い日が続きます。
天気予報で最高気温を見ると
「はぁ~今日も暑いんやぁ~」と言ってしまいます。
本社事務所から各店舗へ移動すると
到着後しばらくはエアコンの前から離れられませんよ。
さて、先日事前の相談に来られたお客様とお話をしていて
しばらくすると、
お葬式のあとに納骨をどこにしようかって心配になるわとのこと。
いろいろとご説明をさせていただきましたら、
少し安心されたようでしたが、
「いざ、いろいろとお葬式のことを考えると、
あれもこれも気になってしまうわね」とおっしゃっていました。
どんなことにも精一杯ご説明させていただきますので、
ご遠慮なくお気軽に私たちにお尋ねくださいませ。
涅槃(ねはん)とはインドの語「ニルヴァーナ」の訳で、吹き消すことを意味します。煩悩の火を焼きつくし、不生不滅の境地に入ったことで、特にお釈迦様の死を指す言葉でもあります。
お釈迦様は2月15日、クシナーラのサーラの林の中で80歳の生涯を終えられました。涅槃に入ると言われています。それ以来この日を涅槃会と呼んで、お釈迦様をしのぶ日としています。
梅雨が明けて夏本番です。
この頃のご近所さんとの挨拶は、おはようございますではなくて、お決まりのように「暑いですね」から始まります。
この時期のお葬儀はお身内さんも大変です。
遠くから来られる親戚さんのことを気遣ったり、暑さ対策を考えたりと普段以上に気を使われます。
そんな負担を少しでも軽減できるように私たちのできることをさせていただいております。
違和感なくスムーズに葬儀が進行することも私達の仕事です。
誰か八苦の海を渡らん。 すばらしい教えです。 現在の世の中は、何か物事を成し遂げようと考えたときには、 一人の力ではなかなか難しいことも、同じ志を持った者が 集まれば、大きなことができる可能性があります。 それは、家族でも会社でも同じでしょう。 人の痛みや苦しみ、そして喜びも素直に共感し、同じ気持ちに なれると、強いチームができるのだと思います。 我々葬儀の仕事は、どんな他の仕事にも負けない、いやそれ以上に 存在価値のある仕事だと思っています。 そこで働くものは、本当に強い結束力、団結力が必要なのだと 思います。 ご遺族が安心して葬儀を行える、そんな時間を提供するために、 お互いを尊重しあえるチームワークが大切です。
先日、久しぶりに母と姉と3人だけで買い物へでかけました。
というのも、もうすぐ父の一周忌の法要があり
親戚が集まりますので、いろいろと準備が必要で。。。
伯父におまかせしているとはいえ、何もしないわけにもいかず
粗供養の品物を何にしようかとウロウロと見て回っては
”疲れた”と言って休憩し、あれやこれやと言い合ってやっと購入しました。
突然やってくるお葬式の場合は、
品物選びにそんなに時間はかけられません。
他にも決めなければならないことがたくさんありますから。
そうなると、あとでゆっくり考えられる法要の粗供養や香典返しは
気に入ってもらえる良いものにしようと、つい思ってしまいます。
しかし、いろいろなことを考えすぎると決められないかもしれません。
悩んでしまった場合は、
持って帰ってもらうことを考えると、例えば海苔の詰め合わせや
乾物セット等、日持ちして、軽くてご家庭ですぐに消費できるものが
良いのかもしれませんね。
そして、もし私がもらう側なら、
普段自分では買わない”ちょっといいヤツ”がいいですよねっ。
毎日暑い日が続いています。
昨日は本社がある生野区の夏祭りでした。
獅子舞にだんじりと、毎年楽しみにしてます。
昨日は祭りを楽しみましたが、今日は1日
祭の片付けです・・・。
洗濯ものの山を見て、思わずため息が
出てしまいました。
お葬儀も終わった後の方が
手続きに挨拶回り、などしなくてはいけない事が
たくさんあります。
お困りの際は、お気軽にご相談ください。
本日、毎年恒例の夏祭りでございました。
生野区、桃谷、勝山地域のだんじりが一斉に町内を練り歩きます。
当社も、お祭りに参加されている方々に飲み物やアイスなどを配って涼をとっていただいてます。
本日、酷暑の中、本当にお疲れ様でした。
毎日暑い日が続いております。
仏教ではあらゆる束縛から解き放たれた境地を「自由」といいます。つまり悟りの境地です。他のものの影響や支配を受けることなく独立自尊で、それ自身において存在することのできる安らかな境地をいいます。
自由であれば自分の思い通りの存在となれます。これを「自在」といいます。
仏や菩薩はそのような力を具えているので仏のことを自在人といい、観世音菩薩のことを観自在菩薩といいます。その自在の力には世の中を見抜く自在、説法・教化をなしうる自在、種々の自在が説かれています。
だから自由自在とは何ものにもとらわれることのない、のびのびとした安らかな心身の境地と、そこから現れるとらわれない働きをいうのです。
決して勝手なことやわがままなことをすることではありません。
先日、たまたま見た情報番組で、
高齢者の孤独死の話をしていました。
数か月発見されなかったとか・・・
高齢者の孤独死は発見迄に時間がかかり、
ニュースになる事も多いですが、若い方の
孤独死も多いとの事でした。
若い方の場合、仕事をしていたりなど、比較的
発見が早いので、あまりニュースになることは少ないそうです。
少し前に読ませていただいた書籍に「多死社会」とういう記述がございました。
現在、社会問題になりつつある「高齢者社会」
その後に待ち受けるのが多死社会です。
死亡者が激増するなかで、その時代の葬儀もどうなっていくのか、
少し考えさせられる言葉でした。
日々考えることがあります。人間は本来、真面目な動物なのか、
それとも怠惰なほうが勝る動物なのか。
楽することを考えることが本能、本性で、真面目というのは
逆に理性が働くから、ということなんでしょうか。
人間は理性の動物、本能のままに動くのではなく、社会での
コミュニティを形成し、同調したり協調することができる
ことこそ人間の特徴であるわけです。
あの人は、真面目な人だ。
しかし、四角四面になんでも事を運ぼうとすると、
頑固、堅物、真面目というより融通がきかない、となる。
自己中心的だとも。
杓子定規な考え方しかできないといわれ、果ては協調性がないと。
しかし、その逆をいく人は、不真面目、筋が通っていない、わがまま、
子供みたい、そしてこれまた、協調性がないと。
そうなると、協調性というのは誰が柱になるかで良い方向にも
悪い方向にもなるわけです。
四角四面、杓子定規の対義語が融通無礙です。
ご葬儀もおなじく、いろんなスタイルがある現在ですから、
トレンドばかりに目を向けなくてもよいとおもいます。
なぜなら、お葬式はトレンドにのっからないといけないものでは
ないと思うからです。
トレンドではなく、後悔しないことが第一です。
ですから、どうするのが良いのか迷われたら、いつでもご相談ください。
様々な可能性と展開を考えて、融通無礙に対応できるよう、準備しております。
先日、母が以前住んでいた家のお隣さんと
偶然道でお会いしました。
私は全く気付いていなかったのですが、
「げんき?」と声をかけてくださって、たったそれだけでも
なんだか嬉しいですね。
弊社でも毎朝、事務所周辺を清掃していましたら、
お声をかけてくださいます。
私たちも、スタッフ同士で声をかけ合うことはとても大切です。
作業が滞りなくすすんだり、
お客様に同じことをお聞きしてしまうという事もなくなります。
これから、新しい仲間が増えます。
今と同じように声をかけ合えるようにサポートしてゆきたいと
思います。
室町時代―。
僧家において壁に仏画を掛け、その前に押板を置き、その上に花と燭台と香炉を飾り、礼拝をしていました。その押板を床といい、それが次第に変化して作りつけになったものが床の間のもとの姿でした。
つまり床の間はお仏壇の遺風であるといわれています。
床の間が物置代わりや埃が溜まっていませんか?
本来は仏様がおられるところです。