迷惑
「ご迷惑を、おかけいたします」「迷惑千万だ」から「近所迷惑」「迷惑駐車」まで、迷惑は、いやなめにあって、困ることを意味する日常語としてよく使われています。
迷惑は、もともと、道理に迷い、とまどうことで、どうしてよいか分からないで、途方にくれることを意味していました。
親鸞聖人は、仏の慈悲に包まれ、仏の力に生かされながら、なおも愛欲の絆(きずな)にしばられ、名利を求めてさまよう自分に対する深刻な内観から、「悲しきかな、愚禿(ぐとく)鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して…」と『教行信証』に記しておられますが、その「迷惑」が、まさしく、この意味なのです。
私自身、自分が迷惑にならず、また他人の迷惑にならず人生を送りたいと思います。