適正な価格と公正な価格の違い
帰りの電車は、台風の影響か、連休の真ん中ですがガラガラ。
そりゃ、この風雨のなか敢えて外に出ようとおもう人は
すくないでしょう。
そんななかでもご葬儀はあります。
さて、みなさん物の価格はどうやって決まるのか考えやことは
あるでしょうか?
なんでこれはこんなに高いの!これはほんとうにお買い得だ、
うん、安い!
などなど。
みなさんもご存じのように、基本は需要と供給のバランスで
価格は決まります。
現代で、価値が感じられないものであれば、
欲しい人は少ないから売れない、つまり値段は下がります。
だから、必要ないものは売れないから、値段も2束3文。
でもみんなが欲しがっているものであれば、我先に、少し高くても
手にいれたい、だからどんどん値段は上がっていく。
私が以前やっていた仕事は、そんな値段の上下変動を利用した
仕事です。
相場には格言というものがあります。
基本中の基本、「もうはまだなり、まだはもうなり」
一般大衆がもう下がらないだろう、もう買値だと思っているうちは
値段は下がり続けます。
逆に、まだまだ上がるから売るのはやめようと思っている途端、値段は
大暴落をはじめます。
売りのタイミングを逃すとか、買い拾うのができず、いつのまにか値段が
上がってしまった。
そんなことは世の中しょっちゅうあることです。
しかし、そのうらで底値で買って天井で売ることができる人が
いるんです。
相場の世界では、いわゆる少数派です。
しかし、その少数派が相場の実験を握っています。
この相場の世界だけは、マイノリティが強いんです。
いま、葬儀の費用も年々下がっています。
下がることが善とする風潮さえ見えます。
公正な価格を考えず、適正価格が決まることはありません。
適正は一般大衆が決めるのかもしれませんが、始めに申し上げた
ように、需給のバランスと価値があって価格は決まります。
つまり、逸脱した高値はいずれ是正されますが、それは安値も
おなじなんです。
逸脱した安値では、その商品の価値は逆に損なわれます。
安くすませられれば良いに越したことはない、はその安値であっても
価値が見いだせるかどうか。
やすかろう、悪かろうは、本末転倒であることはみなさんもご存知
のはずです。
本当にみなさんの価値観と提供するサービスが合致したときが、
本当の適正価格であると。