会話のキャッチボールではなく、ドッジボール
面白いネタをみました。いいえて妙とでもいうのでしょうか。
お笑い番組ですが、会話のキャッチボールではなく、ドッジボールだと。
上手い例えです。妙に関心してしまいました。
キャッチしやすいボールを放ったところ、相手はそうはとらえず、宣戦布告された、と思い
受けやすい玉ではなく、とれない玉を放つ。
こんなことは実は日常茶飯事のことかもしれません。
受ける相手が優れていれば、もしかしたら悪意のある玉を投げたとしても、楽々受けることも
あります。
逆に楽に返せる玉を投げたつもりが、そんな玉は受けられないと激怒されることだってあるかもしれません。
要は、投げる相手と受ける相手が目的を間違えているか、共通認識があるかどうかで、キャッチボールにもなれば
ドッジボールにもなるということです。
いちばん気を付けたいのは、通じていると思い込んで投げ続けること。
受ける側が苦労するあれです。
これも、自己中にありがちなあれです。
簡単にいうと自己中、わがままな会話ということで、キャッチボールもドッジボールすら成立しません。
あ、自分はその傾向がある、と思うかどうか。
気付けば大したものですが、なかなか当事者は気づかないものです。
そんなこといってる自分もそうかもしれませんが。。
私たちお葬式の仕事では、これは致命傷なのです。
仕事であって仕事以上の仕事、それがお葬式だと、私は思うのです。