先日、お寺様の奥様のご葬儀がありました。寺葬といい、いわゆるお寺の社葬とでも表現するとわかりやすいでしょうか。
そのお葬式でのことも、大変貴重な体験だったのですが、それ以上にこんな会話をしたことが印象的で、今もいろいろと考えさせられます。
「お寺はどこも最近は山門を締め切ってしまっているが、それに比べてほとんどの神社はどこも、いつでも神様に手を合わせたりできるのをみると、うらやましいなと思う」
「本当は、お寺もいつでも自由に出入りできて、ご本尊に手を合わせてもらえるようにしているのが一番なんだろうなといつも思っている…」
背景には様々な事情や状況が重なって現在のかたちがあるのでしょうが、確かに神社、仏閣と考えたときに、私の通勤経路の道中にあるお寺の山門が朝から開いているかというと、ほとんどは閉じている。山門まではいかないが、別の入り口を開放しているかというと結構少ない。
神社やお寺は何のためにあるのか?と考えると単純には、いつでも拝んだり、手を合わせたりできると一番良いのかなーとも思います。
簡単な話ではないのでしょうが、気軽に立ち寄れる、ふと思った時に立ち寄れる、そんな寺院が増えるといいなーと思った次第です。