叱ってくれる人
たまに考えるのですが、小さい頃、物心ついてから、何度人に叱られたり、嗜められてきたのだろう、と。
私は幼少の頃に、近所のおじさんに叱られたことが、この年になっても未だに忘れられません。
もうかれこれ40年以上前だというのに、その時の情景すら鮮明に覚えています。
時折、何か迷いや悩みがあると、その時のことが頭に甦ってくるのです。
怖いおじさんだ、と思っていたのですが、年を取れば取るほどに、感謝の念が強くなります。
おじさん、といっても小さい頃の記憶で、そのかたが何歳くらいの方だったかはわかりませんが、まだご健在でいらっしゃるだろうか?まだあのお店は誰か継がれて、いや、まだあのおじさんが、されていらっしゃるのか?と、考えることがあります。
私は、そのあと、数年もしないうちに引っ越してしまい、その後そこに行く機会もなく、現在に至ります。
なかなか世間付き合いも希薄な世の中になりましたが、今我が子が、近所のおじさんに叱られた、という話も聞いたことがありません。
また、叱られた、などと聞くと、なんで叱られたのかより、なぜ他所の子を叱るのだ、という風潮すらあります。
私もいい年になり、叱られる、という機会も少なくなりました。
この歳で叱られるのは、逆によっぽどのことがあった時なんでしょうが、叱られないと、人間「自分はどんなときも正しい」と錯覚することもあるかもしれませんし、実際そういう錯覚に陥った人も、見かけます。
正しく叱られたときは、軌道修正のチャンスといつも思っています。
叱られる、という行為はなくなっても、それは自分をしっかり客観的にみることができ、かつ、自分で自分を戒めることができる年齢だと自覚せねばなりません。
これが、できるできないで、その人の、人となりがよくわかります。
冷静な判断、そして謙虚さと適切な自己評価
これができるのが、大人になった証出はないかと、思います。