立場かわれば
朝晩すっかり秋めいてきました。
うすら寒い朝ではありますが、今朝こんなニュースをみました。
日本にいるアフリカにルーツを持つ黒人のかたがたが、日本でも窮屈な暮らしをされていらっしゃるというものです。
いろんな事例があり、まさに差別というようなことも実際にあるのか、と考えさせられるところがありました。
こういう言葉や行為が、知らない間に相手を傷付けている、というケースも…。
差別の感情の前に、先入観や偏見というものがあり、人種に限っての話ではなく、生きていく中で、いろんなところで先入観や偏見というものはあるのではないか?私も、自分はそんなことは絶対にない、と言い切れるかというと、自分では気づかない間に…ということは起こっているのかもしれないと思うのです。
少ない海外旅行経験の私ですら、「日本人はこうだ」ということに何度かあったことを記憶しています。
そうなると、どこどこの国の人は全員が、日本人のことを良く思っていない、という変な認識がついてしまいます。
そうすると、○○にはいかないほうが良いとか、気を付けろ、とかどんどん話がややこしくなります。
人種のことだけでなく、日ごろ暮らしていても、職業で人をみたり、男性だから、女性だから、と先入観でみたり、いろんなことがありうるわけです。
実は非常に根深い問題であることは、だれでもわかることで、現代人だからとか先進国だからこういうことが、ではなく、もっと昔からのほうが「差別」的なことは多かったのだと思います。
成熟すればするほど、きっと差別や偏見というものは、徐々になくなっていく(人間が本当に知的な動物であるとするならば)ものだと信じています。
これはマイノリティの問題然り、多数派の考えが「一般的」とされる世の中、これを民主主義の一番いいところとしてしまっている世の中であるから、なかなか簡単に変化が起こることができない要因かとも思うのです。
そして人間がそうなっていった根深い歴史をみていけば、確かに容易ではないなかにも、これも自分たちを守るという、そんなところから始まったことで、悲しいかな「差」をつけることで安心した生活ができる、と思わされてしまった結果なのでしょう。
この資本主義の現代社会で、AI化がすすみ、成熟した社会などといっているなかで、コロナのことでも差別的な言動が国家規模、政治家クラスで言い争っている状況(真意はどなのかなんてわかりませんが)で、差別や偏見が今すぐになくなるというのは、なかなか考えにくい。
そうであっても、やはり私たち一人ひとりが国を越えて、理解し合うことを続けていくこと、普段の生活でも、近いコミュニティー間でも、そういったことを無くしていくたゆまぬ努力が必ず身を結ぶと。
ただし、悪意をもった犯罪に関しては、許されざるところがありますよね。
と、悩ましい問題を考えさせられた朝でした。