記憶
もう間もなく、阪神淡路大震災から27年。
大学生活最後の数か月というときに起こった災害でした。
ちょうどそのころ神戸におりましたので、且つ、そんな年齢の時ですから記憶に鮮明に残っております。
こういう下りのブログを過去にも書いたことがあるかもしれませんが、やはりこの日が近づくと思い出さざるを得ないわけで。
現在、会社でもこの震災後に生まれているとか、小さいころだったからあまり記憶がない、テレビでは見て知っているが、という社員も当然ながらいるわけで、まるで私が戦争の経験を知らないのと同様に、実体験のない方もどんどん増えていくということです。
戦争にしても自然災害にしても、こんな経験などする必要もないくらいの出来事です。
東日本大震災やその他の天災も同様、忘れてはならないが、同じ目に遭ってもならない、そんなことがたくさんあります。
「当たり前が、当たり前にあるわけではなく、この当たり前が本当に幸せであるということを気付かせてくれた」
「自分たちは生きているのではなく、生かされている」
この2つのフレーズを、よく耳にします。
震災で辛い経験をされた方は、本当にこの言葉を嚙み締めていらっしゃいます。
この言葉こそ、実は究極の前向きのような気がしています。
葬儀という環境においても、ご遺族のお気持ちも、似た思いのように感じます。
だから、どれだけ日頃から生かされているという思いで日々を暮らせるかって、本当に重要なのだと、毎年、この時期、思い出すのです。