先見
普段は、あまり小説を読むということがないのですが、時折、いわゆる日本文学的なものが読みたくなることがあります。
といっても、文学たるものが何なのかなどわからないのですが、大正、昭和初期ごろの文壇というのは、歴史にあるように大変興味深いと思っておるのですが、それゆえ一度入ると抜けられない気がして没頭するには至っていません。
また忙しさにかまけて、なかなかじっくりと文学を嗜むようなこともできないのですが、最近は本当に便利でYouTubeやいろいろなSNSで朗読をしてくれるコンテンツが多々あり、おかげで興味はあったものの手に付けられなかったラインナップを「聴く」ことができます。
そのなかでも最近良かったなこれ、と思ったのがかの文豪、芥川龍之介氏の短編小説(超短編でしたが)、「世の中と女」というタイトル。
もう皆さんがご存知の芥川氏なので、人物像はさておき、このころ、つまり日本がいろんな意味で躍動していた時に活躍されていた方は本当に素晴らしい考えや先見の明を持っておられたのであろうと畏敬の念さえ感じさせられます。
たまたまなのか、この時代そういう機運が高まっていたのか、渋沢翁然り、女性の活躍が世の中を変える、がかといって「女性らしさ」がなくなるわけではない、という話をはたと思い出しました。
女性が、ということではなく人がいままでの既成概念を抜けて何かをし始めても「その人らしさ」が重要で、らしさがなくなることはない、という現代の多様性をありありと言っているように思えたのです。
つまり、誰がとか、男性が、女性が、から考えること自体がおかしいのであろうと。
ああ、単純なことなのに、気付いていないことでもないのに、いざという時を考えると実践できているか?そういう逆の考え方はできていないな、自分のスタンスが旧態依然だな、と。
本も読むだけではなく、聴くことが容易にできる時代(これももう古いのかな?)、学ぶ方法は工夫すればいくらでもあるのだ、とこの歳になっても(いや歳を重ねれば重ねるほどか)勉強になります。