最近でもないが
我らがかわかみ葬祭でも、YouTubeチャンネルというものを開設し、毎週土日の午後8時に更新しております。大阪の葬儀についてにはどうしてもなるのですが、それでも全国共通の話題もたくさんあります。
いや、この撮影を繰り返せば繰り返すほど、葬儀に対してのしきたりや慣習っていうのは、本当にちょっと町をまたいだだけでも変わるもので、北海道だから、大阪だから、沖縄だからのレベルの話しよりももっと細分化されるものだと、つくづく思います。
しかしそこがある意味興味深く、仏式葬儀(が大半ですが)で、最後に行きつく地は同じなのかな?と思いつつも、そこへ至るまでの過程や、「死」に対する捉え方までも地域差が大きいという証拠です。
裏を返せば、「正解」はないということにつながる、いや正解は「ご遺族が納得すること」なんだと。
それに加えて、宗教心などの変化、もともと日頃の信仰があるようなないような、という人々にしてみると、葬儀っていったい何なんだ?というところに行きついてしまって当然かと思います。
葬儀にお寺様はつきもの、みたいな葬儀のコモディティ化は、私の個人的見解ではよろしくないと思っています。
人がお亡くなりになる⇒僧侶を招いての葬儀をしなければならない⇒それは、昔からそうだから。
という図式。特に「昔からそうだから、そうするのが当たり前じゃないの?」というのが現在の混沌とした葬儀スタイルの乱立につながり、強いては「葬儀の簡略化」や「合理化」にいってしまうのも当然の成り行きであると思われます。
直葬や1日葬が「増えている」という誤解につながっており、それがトレンドとされてしまう。
まさに葬儀は商品となっている現状です。
1日だから、2日だからよい、式場を借りるからよい、借りないとだめ、という「意義」に基づかない考えになってしまうのかもしれません。
なぜなら、そういうようにしか一般の方は情報も知識もないからですし、日ごろから葬儀のことを考えているわけがないからです。
つまり、これからの葬儀社の責務は、実はとても大きな位置を占めると思っています。
「葬儀とはこういうものだ」がなくなるのですから、葬儀社がどうする方法があるのかを提供していかなければ、本当の意義あるお見送りができなくなり、葬送ということの真の重みがなくなってしまうかもしれません。
ということで、そんな意義を見出していただく一助になれば、とYouTubeチャンネル「あなたと家族のお葬式相談室」ご覧いただければ、と。