ルーツ
を探る、ということがあります。ご自身のルーツを探ったことはありますでしょうか?
出身地や親、祖父母のこと、いわゆるご先祖様のことなど、そんな感じのルーツは多少の差はあれど、何かしら聞き覚えもあるかと。
これが、今現在の自分自身の性格や癖、発言、言動、思考に至ると、結構大変な作業になります。
こういうときになぜいつもこういう考え方をするのか、なぜここぞという時に勇気が振り絞れないのか、なぜ他者からこのような見方をされるのか…それは良くも悪くも個性ではあるのですが、個性を存分に出せるシーンと、個性を殺してでも協調性を重んじるシーンと、いろいろと社会にでれば、選択することが増えてきます。
個性が大切だ、日本人は個性的ではない、自己主張がない、なんと「自分をもっていない」とまで言われる始末です。
自分らしい生き方をしている人が素晴らしい、とも言われます。自分らしく生きるというのは、自己主張を抑えることで調和を保とうとする生き方も、その人にとっては「自分らしさ」なのかもしれません。
「特徴」、「個性」、「自分らしさ」というのが、長所、短所に関わらず「認めること」が今の時代の流れのようで。
ただ、ここにも多数派のいう「常識」は基準になるのかもしれませんが、小さなコミュニティでの「常識」や強制的につくられた常識下では、世界の常識では考えられない「非常識」をもってして人を判断するということも起こり得ると。
大回りしましたが、自分の思考の癖を常に「正しい」判断基準にしないよう、自分自身のルーツを辿るという行為は、全ての人にとって必要なことではないか、また周りの人間も指摘や批判ではなく、その人のルーツに迫るというスタンスでのコミュニケーションって大事なきがします。
もちろん私自身もですが。
H・O