処世訓ではありますが、
「恩を施す者は、うちに己を見ず、外に人を見ざれば、即ち斗粟も万鐘の恵みに当たるべし。物を利するものは、己の施しを測り、人の報いを責むれば、百鎰と雖も一文の功を成し難し」という言葉をご存知の方も、多いかと思います。
いろんなところで、似たような訓示といいますか、偉い方が偉そうに言わず、このような戒めの言葉を話されるから、結局その方は偉い方なんだなーというところでございます。
最近、資本主義と民主主義について、様々な議論をされているのを見かけます。
だれもが、この資本主義と民主主義の行く末については、ダイレクトでなくても、いろんな形で考えられたことがあるのではないでしょうか。
もともと少数精鋭か、共存共栄的な考えか、という時点でも、政治と経済という見方の違いこそあれ、成り立ってきたこと自体がすごいなーと関心しますが、これが社会主義の民主主義であると…と考えたことが皆さん一度はあるのではないかと。
競争原理と共存という対局に位置する中で、道徳論が叫ばれるのでややこしいのではないか?と。
何をいってんだか?と思われ始めていると思いますので、〆にかかりますと、個人的意見としては「コミュニティー」単位での底上げが大切なのかな?と。
切り捨てられる(られてきた、または、いままでは、られた)ようなところに資源が集中するような世界です。しかしこれを弱者救済みたいに思われると違いまして、先に挙げた処世訓をしっかりと理解することから始まるのかな、と。
信じられないでしょうが、きちんと冠婚葬祭にも関わってくることかと思っておりまして…。
H.O