文化
だと思うんですよね、お葬式も。
最近の世の中の傾向でいうと、「安い」=「正義」のような風潮が漂い過ぎている気がしなくもありません。もちろん、安いことは悪いことではなく、その価格に見合っているかどうかの問題で。
結局、誰にとって高いのか安いのか、大きいのか小さいのか、という議論になってしまうのですが。
朝、ニュースで歌舞伎役者の方の話がやっておりました。まったく違う世界で、お葬式と比べるつもりも毛頭ないのですが、印象的だったのは「昔は見て覚えるしかなく、言葉で教えてくれることは無かった。いまはきちんと言葉で手取り足取り教えていかないといけない」というニュアンスのことを仰られていたと。
ああ、伝統芸能の世界でも、そういうような変化が出ているのか…と、当たり前のことではあるのかもしれませんが、時代の流れはどんなところでも同じだなーと。
さて、そういう伝統芸能ではありませんが、さまざまなことが「手取り足取り」教えられなくなった現代。特に、礼儀作法や道徳といったものは、「いらない」ものかのような扱いを受けてきていると思っています。
それが、無駄なものは省いていく、華美過ぎるようなことは避けていく、ただの意味のない贅沢はアホみたいなもんだ、というところで、デフレスパイラルが続くなか「清貧」なんて言葉まで流行る始末でした。
良い面がなかったわけではないですが、どうもバブルの頃は狂っていたことを悪くいう風潮もいまだにあります。
いや、経済や世の中の仕組みが多少変わっても、いま、こんな年齢でよくもまあそんな高級ブランドバッグや高級車、マンション購入などできんな!という若者もたくさんいるわけで。
そういう世の中の変な流れのなかにあって、冠婚葬祭でも正しく教えられず、高い、無駄、的な要素ばかりクローズアップされています。
お寺とか、宗教がとか、霊感ビジネス的にもいわれたりします。
ただ、本当にそういうところで、いわゆる「不安商法」のような営業をする葬儀社も実際にいるので、この辺が本当に悲しいところです。
なんとも纏まらない話ですが、いま、かなり精神的に揺れているときなので、ご勘弁を。
HO
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