おやつと感性と教育
今日は雨模様。
今日は次男坊が、新学期早々に遠足だったそうです。
私が小学生のころ、遠足の楽しみといえば、行き先やお弁当ではなく「おやつ」だったような。
しかも、当日食するおやつではなく、おやつを買いに行くという行為と、
決められた金額以内に収めなければならないという規制と欲望の間での葛藤、そして明日まで待たなければならない目前のおやつの誘惑。
遠足のおやつには、小学生がこれからどんどん成長していくにあたって
社会という荒波にもまれる前の、予行演習だと思っていました。
学校教育の中でも、児童自身におやつを買わせる、という行為は私の中では
ある意味至高の教育方法だと思っていました。
ところが、最近はなのか、地域がらなのか、なにか問題があったのか、
私の子供たちが遠足に行くというのに、おやつを買いに行くという冒険に
足を踏み入れていないように感じていました。
やはり、チビらは遠足のためのおやつの買い出しにはいっていないようです。
色々と差別がでてしまい、教育上よろしくないということか、おやつは持参ではなく、 学校が準備し皆が同じものを 適量、差別なく食べてるようにと配慮している様子。
つまり、鉄板ネタである、先生、バナナはおやつにはいりますか?的な教室内の 会話はないということです。 遠の昔にそんなのないわと言われるかもしれません。
いろんな家庭に配慮しているというのは、理解しなければなりません。
でも、おやつにまつわる様々なやり取りというのは、どんな子供たちにとっても、 印象深くいろんな意味でこころに残るものではないでしょうか?
なんでもかんでも皆同じ。というようになりたくないものです。