こういう議論
先日、こんな記事を見かけました。
以前より、「葬儀は必要か、否か」のような議論は繰り返し行われてきているのですが、
「葬儀が不要というのは、暴論だ!」という内容。確かに葬儀が不要だという意見もたくさんあり、
それは宗教家のせいになったり、たくさんの会葬者がくることに対してであったり、
誰のための葬儀なのかはっきりしないことなどが原因で、また一時期のように、派手なお葬式
が見直されたりといろいろと要因はあるようですが。
葬儀は必要だ、という話の中では、葬儀がもついわゆる大きな役割を解説している論評もございました。
葬儀は必要だが、直葬がよい、とか、人は呼ぶな、とかそんな結論に達していることも多く感じます。
それを、どこかの大会社で取締役をされていらっしゃった方が、勿論、自論なのでしょうが、大々的に
葬儀は小さいほうがよいとか、人は身内だけでよい、とか新聞や雑誌で持論を展開すれば、多少なりと
も影響はあることぐらいわかっての意見なのでしょうが、へーとかほう、なるほど、とは読めない文章も
多いですね。
葬儀をどうするか、どういう形態がよいか、どうすることが故人の生きたあかしとして意義のある葬儀
になるのか、というのはそれぞれ大きく違うはずですし、違って当たり前です。
勿論、葬儀の意義に対しても、それぞれのご家庭や思考、もっというと哲学的な、そしてどこかスピリチュアル
にとらえる方だっているかもしれませんので、すごく差のでる儀式だと思うのです。
お祝い事は派手にやってもいいけど・・・と、おっしゃる方もいらっしゃいますが、お祝い事だから派手はOK
という考えも、人それぞれのはずです。
それでは、楽しいことにはお金をかけてもいいけど、お悔やみごとにはお金をかけることが間違っている?
という錯覚に陥る気がしませんか?
でも、現代、その錯覚に陥っているところもあるように思います。いわゆる葬儀軽視です。
私は、葬儀の形態や金額といったところ以上に、気になるところです。
身内の死を受け入れられないからか?それともやはり葬儀に意義を見いだせないからか?
それとも時代の風潮か?