現実
きっともう間もなく梅雨入りするのでしょう。暑さ寒さの中に、ちょっと湿気を感じるようになってまいりました。
今日は気温何度まであがるのか?なんてスマホでみていますと、スマホには面白いシステムがあることに気付きました。
ちょうど一年前の今日、スマホで何か撮影していたらその画像がでてくるんですね。あぁ確かにあそこにいったな、そういえば、そんなことあったわ、と。
そうすると、仕事で撮影した画像も丁度一年前となりますから、いわゆる1周忌です。
日々ご葬儀のお手伝いをさせていただき、日々様々なご相談をお聞かせいただいていくなかで、ちょっとした変化などを感じる時がございます。
家族葬、家族葬といわれてきていますが、家族葬が本当にどういう本質をもち、どういうことにつながるのか、というところに、世間様もわかりはじめているような気がします。
ネット社会で、明瞭で低価格、そしてなんだか簡単ということがキーワードになり、それがイコール家族葬なんだから、というおかしな図式ができあがりつつあったような気がします。
勿論、明瞭は大切、安くすませられるに越したことはないでしょう。
また、簡単というのも言い方の問題はありますが、お葬式だけでなく葬儀後も大変なので、極力お葬式での精神的負担を軽くするという意味合いでは、簡略化もよいかもしれません。
でも、そもそもお葬式を執り行う理由が、置き去りになっていないか?と不安視する声もでてきているように感じます。
世の中の摂理ではありますが、意味のない派手さや簡略化は、いずれは是正されます。
是正されたときに、時代がそうだった、みんながそうしていた、というのは少し寂しい気がします。
個人的な意見ですが、世の中マイノリティの強さっていうのがあるものだと、つくづく感じます。