矛盾か適正か
現在の葬儀業界を取り巻く環境というのは、本当にめまぐるしく変化し続けております。
私たちのいう、昔のお葬式は、我々の親世代がいうところの昔のお葬式とはまた、違ったものでしょうし、これから私の息子たちが感じる昔のお葬式も、私が考えているものとは全く別物になっている可能性すらあります。
これは、形式的なことの話であって、故人様を送るという行為自体はなくなることがないのでしょうが、バブルのころの結婚式や葬儀もそうですが、「見栄」という部分が先に立ってしまい、かかった費用と満足感とのバランスが大きく崩れていた時代もあったわけです。
つまり、儀式の本質をうまく見いだせないまま、豪華絢爛な部分に、参列される方も感心したり、そのことを「よい儀式」とする風潮があったことは紛れもない事実かと思われます。
ただし、お金を掛けたことに対して批判する向きもあるようですが、私はそうは思いません。いわゆる価値観の問題なのですから。
清貧とか、質素という言葉が流行した時期もありました。
とても日本人らしい表現であり、感覚だと思います。
しかし、この言葉の表面だけを都合のよい解釈でしてしまうと、古からの様々な年中行事などが、否定的に捉えられてしまったような気がします。
つまり、極端な話が、なくてもよい、というような。
しかし、クリスマスや最近では、ハロウィーンを日本人がなぜか盛り上がりをみせているこの違和感が、葬儀の状況を見たときに、ちょっと切なくなることがあります。
勿論、これも個人的見解です。