自分が正しい
訳ではないので、難しいのですが、いわゆる常識と言われるものと、非常識と、その間の部分とがあり、そこで悩ましいことになるということは誰しもご経験がおありになるのではないでしょうか?
もしかして今まで考えてきたことは間違っていたのか?とか。
では何が常識なのか?というとこれまた難しい問題で、いわゆる非常識だ、と言われる場合でも、それが自分の中では「常識」であるがゆえ、発言や行動が行われるのであって…。
常識外れの…というと良い意味で使われる、前向きな、びっくりさせるような場合に使われます。
非常識ではなく、超常識とでもいうのがよいのでしょうか?
常識にとらわれず…というのも、良い意味で使われます。
常識外れや常識にとらわれない発想などは、そう、前向きに使われます。
しかし常識がない、非常識だ、という言葉が負の意味合いで一般的には使われるわけです。
つまり、いわゆる「常識」を持ち合わせているかどうか、というのがそもそもの問題になるわけです。
一般的に言われる常識を持ち合わせず、(か、わかっているつもりだけど重要視していない)、常識はずれなことをすれば、他に与える影響が「負」であるということ。
また多少の常識を持ち合わせているが、敢えてそこに自らの常識を当て嵌めて主張する場合、イメージ的にはいわゆるアウトロー的に見え、支持されるケースもあります。この場合は、別のところでそれ相当の努力や強い信念がなければ、成り立ちません。
一番ひどいケースは、主張がありながらも公にはせず、似た思想を持つものを探し優越感に浸るケース。主義主張を展開しても、論破される可能性が高いと自分でもわかっているので、議論を避けるケース。自分を正当化するのに必死のケースですね。
これらが性格から来るのか、環境からくるのか、どこでどう分かれていくのかは大変興味深いところではありますが。
心理分析官ではないですし、私の常識がきちんとしたものに成り立っているかも確かに疑問はありますが、どこで問題がおこるかは、人としての道徳観の問題なのかな?と思っております。
そのあたり、葬儀社やサービス業に勤めるものは常に考えていかなければいけないような気がしています。