知ってることでしか
幼い頃、将来の夢は何かと聞かれたら、いつも困っていました。
子供心に「ケーキ屋さんいいなあ」とは思うけれども、だからなりたいかと言われたらそれは全然違っている気がして、でもさすがに「ない」とは言えず、とりあえずケーキ屋さんと答えていた記憶があります。
自分が何になりたかったのかを考える度、毎回必ず思い出すことがあります。
あれは確か小2の頃。将来の夢を発表する授業で、あるクラスメイトが「のうかになりたい」と言っていました。
その子はいつもテストの点数が良くて、休み時間ずっと分厚い本を読んでいて、他の子とはなんか違う、そう思わせる子でした。
「農家」という言葉は、その子のそれをきっかけに知りました。
実は田舎に住んでいたからなのか、本で読んだからなのかは分かりませんが、10才にもならない人生のどこかで「農家」を知り、それを志す何かがその子にあったのでしょう。
ケーキ屋さん、パン屋さん、お花屋さん、魔女見習い…… 将来の夢とは、「(今まで自分が見聞きした範疇で)なりたいもの」ということなんですね。
そりゃあ、農家も農業も知らなかった当時の私は、農家を志すどころか候補に入るはずもありません。
知ってる範囲のことでしか、したいと思わないし、欲しがらないし、次が見えない、考えられないのだなあと……よくよく考えなくとも当然のことなのかもしれませんが、思い知らされます。
知ってることを増やすのは、自分の想像以上に武器にもなるし、お守りにもなるかも。
小2の頃のあの子が、時を超えて今、それを教えてくれたような気がします。