「花」はとても不思議な存在である。
人が誰かに「花」を贈るとき、「花」は物質ではなくて
贈る人の「気持ち」に化身する。
花の生命力、またその反対に儚さ・・・
そんな、神秘的な力と、美しさや憧れの象徴として
自分の気持ちを相手に伝える「手段」として「花」は
相手に贈られる。
だからこそ人が誰かに「花」を贈るとき、
受け入れてくれないことだってある。
皆さんもこんな歌をご存知ではないでしょうか?
「川は流れてどこどこ行くの
人は流れてどこどこ行くの」
この歌詞をふと思い浮かんだご葬儀に立会いました。
最後のお別れの時
お棺の蓋が閉じられる。
そしてご遺族を代表して喪主様が、お柩へ
まさに「最後の花束」をおこうとするとき
その「花束」を手向けようとする手が、止まる。
また手向けようとする、が、やはり置けない。
そんな所作が何度も続く・・・
そのうち、喪主様は涙をこらえきれなくなる・・・
そしてしばらくして覚悟を決めたかのように「ふうっ」と息をつき、
ついにお柩に「花束」が捧げられる・・・。
受け入れて欲しい「花」だけれども、
この場だけは、受け入れて欲しくない「花」に変わる瞬間がある。
それは、柩に横たわる愛する人は、その「花」を物静かに、
しかし確実に受け入れてしまうことがわかっているから・・・
そして、手向ける人は、「別れ」を受け入れなければならない
瞬間でもあるから。
「そんな流れがつくころは
花として花としてさかせてあげたい」