先日、式場に入り「おはようございます!」と挨拶すると、ぶすっとふくれっ面の親戚様と、おろおろしている喪主様がおられました。
「お墓を作らんとはどうゆうことか!!!!」
「いや~、わしらには後を見るものもいないし、一心寺さん(大阪天王寺区にある有名な合同墓)に入れようかと思って・・・・」
「そんなん、うちの田舎では考えられん!!!!」
やはり、一戸建て暮らし個人墓に入ることが当たり前の土地柄と、マンション暮らし納骨堂に入る人が増加しつつある大阪市内とでは、お墓に対する感覚もずいぶん違い、しばしばこういう「ひともんちゃく」が起きます。そして、そこから発展して、開式直前には「あんたは、いままでもそうや!!!10年前あいつが入院したときも・・・」などと、古い眠っていた記憶まで掘り起こしてきて、「そうだ!そうだ!」と親族一同大喧嘩になり、葬儀が終わり精進揚げの頃には、「しーん」と静まり返って、もくもくと料理を食べるはめに。当社スタッフの中には、開式前に取っ組み合いのケンカの仲裁に入り、制服のポケットが引きちぎられたものもいます。
お葬式の場に集うメンバーは、一番に縁が濃いもの達なのに、不思議なことに普段は顔を合わせない(合わせたくない)人もいます。会っていないということは、会えない理由がある。もしくは会いたくない理由がある。仲たがいした理由も普段はそっと見てみぬふりができますが、お葬式では目の前に突きつけられてしまいます。例えば相続の問題、「もらって誰もが嬉しい財産」ならまだ良くても「お骨、お仏壇はこのあと誰が見るのか」「故人の借金は誰が返すのか」「故人宅の遺品やゴミは誰が片付けるのか」「残されたおじいちゃんの面倒は誰が見るのか」など。
問題が起きたときに意見を問われるものの、なかなかこれとは答えられないのが、風習や文化で支えられた葬儀事に携わる葬儀社の辛いところです。