「皮肉なものでね、このお葬式がきっかけで10数年振りに会う親戚がたくさん来てくれることになって・・・」
そんな喪主様のお言葉が印象的だったご葬儀を担当させて頂いた時の事です。
葬儀当日、続々と式場内にご親族がお越しになられました。
「大変ご無沙汰しております。娘の○○です。お元気そうで何よりです」
「いや~○○ちゃん。すっかり大人になって~!」
と皆様、久々の再会に喜んでおられました。
そして、あるご親戚が喪主様に声をかけられました。
「ところで、○○ちゃん、大変だったね。よく頑張ったよね」と。
喪主様は長い闘病生活を、付きっきりで看病をされており、そのご親戚の言葉に安堵されたのか、抱き合って涙を流しておられました。
また、元気だった頃のお姿しか印象に残っていないご親戚は、静かに横たわっていらっしゃる故人様をご覧になられ、
「ごめんね。もっと早く会いに来れば良かったね」と、号泣されていました。
このご当家のやり取りを拝見しているうちに、私の祖父が亡くなった時の事を思い出しました。
一昨年前の事になりますが、このとき私は自分の両親に会うのも6年振り、親戚の中には15年振りにお会いする方もいらっしゃいました。
自分の中の祖父のイメージと全くかけ離れた、柩の中で横たわる別人のような祖父を見て、
「なんでもっと会っておかなかったんだろう」
「電話だけでもしてもっと声を聴いておけばよかった」
と、後悔の念が頭を埋め尽くしました。
しかし、家族も親戚も、そして祖父も、誰一人として私を責める人はいませんでした。
むしろ「おじいちゃんのおかげでみんなが集まったね」と迎えられ、祖父も「よく帰ってきてくれたな」と、語りかけてくれているようでした。
この時、改めて故人様は最期まで色々な事を私達に教えて下さるのだと感じました。
どうしても自分の両親、兄弟など身近な人達はいつまでも元気に生きていてくれるものだと思ってしまいがちです。
しかし故人様は、そんな私達に、人は死ぬという事、今生かされている事実と命の大切さ、そして人と人との繋がりの大切さを自身の「死」を通して再確認する場を与えて下さり、新たなご縁を創って下さっています。
今回の担当をさせていただいたご遺族と私の関係もいわば故人様が与えてくださったご縁。
「今度帰ったら、必ず挨拶しに行きますから!」と、親戚の皆に約束をし、祖父の葬儀の時に味わったような後悔をしない為にも、家族との連絡をもっと取ろうと誓ったあの日を思い出させて下さったご葬儀でした。