あるお通夜での出来事です。
喪主様の遠縁の女性が小さなお子様と赤ちゃんを連れてご弔問に来られました。
その女性は通夜読経が始まる1時間くらい前に来られたのですが、お子様は来た時から、もの珍しいのか大はしゃぎで、逆に赤ちゃんは大声で泣いていました。
読経が始まってもお子様は騒ぎ続け、赤ちゃんも泣きやまずで女性も困り果てるばかりでした。
私たちスタッフも、「何かお手伝いできないか」とお子様用に用意している絵本を渡してみました。
少しの間は落ち着く場面もありましたが、なかなか長くは続いてくれませんでした。
翌日の告別式も親子で参列されていました。
女性は昨日のこともあり、かなり気を使った様子でいらっしゃいましたが、如何せんまだまだ小さなお子さんのことです、どうしても歩き回ったり、声を上げたりしてしまいます。
女性はほとほと困られており、申し訳なさそうに式場を出たり入ったりされておられました。
私は「ご焼香始まりましたらお声掛けますから、外でお待ちいただいても大丈夫ですよ」
というお声掛けくらいしかできませんでした。
子供を連れてお参りに来る事は様々な意味で大切なことかもしれません。
よく言われますように「葬儀は教育の場」と捉えることができます。
いつもと様子が違う、何故だかみんな悲しそうな顔をしている、知らない人達がいっぱいいて、みんな真っ黒な服を着ていて、みんなが挨拶をしてお辞儀している・・・。
小さなお子様であっても、いつもとは雰囲気の違う空間で、怖さを感じたり、なんだかうるさくしちゃダメなのかな?という感覚に触れることもあるでしょう。
そして、親はお子様にわかりやすいように、今何が行われているのか、なぜ静かにしなくちゃダメなのか?を子供に囁くように伝える。
そして、お葬式って大変なことなのかな?と感じる。
葬儀の場とはそういう一面があるのではないでしょうか?
ただ、はっとそのとき思いました。
親御さんが手を拱いているのをみて、私ができることはもっと他にあったのではないか、と。
実際、子供が騒ぐかもしれない・・・と不安に思いながら参列される親御さんも少なくはないでしょう。
もしかしたらお子様が騒ぐからと参列をあきらめている方もいるかと思います。
それでも、故人様を偲びにお子様を連れて参列されたいという方はたくさんいらっしゃるはずです。
以前であれば親戚のお姉さんが見てくれたり、従兄弟がお守りをしてくれたりまたは隣近所のお兄ちゃんお姉ちゃんが世話してくれたり、という環境もあったでしょう。
家族葬ではなかなかそういう機会も少ないかもしれません。
私自身がお子さんを泣き止ませたり、あやしたりすることはできないかもしれませんが、
参列されている皆さんに状況を理解していただき、お子様連れの女性が気を使いすぎることなく故人様を見送ることができるようにすることはできたのではないでしょうか?
同じ女性の目線でできたことがあったはずです。お通夜で大変な思いをされていたのですから、
「ご葬儀当日もお越しになるだろう、絵本はだめだったから、今度はお絵かき帳や塗り絵、折り紙なんて渡してみたらどうかな?」と。
私たちは参列された皆様が、参列して良かった、と思っていただけるようお手伝いすることが使命です。
そして、ご葬儀を取り巻く環境は、世相を反映しているとも感じさせられました。
乳幼児の待機児童の話題もよく聞きますが、少子化とはいえ、なかなかお子様を預ける先が見つからない…自分の親、兄弟にも頼めない…ましてや近所の方になんて。
欧米ですと、こういう場面ではベビーシッターに見てもらうのは当たり前の社会ですが、まだまだ日本では認知度以上に、信用性や信頼性に疑問を持つ方も多く一般的になるのには時間を有することでしょう。
そういう時代だからこそ、葬儀社としてできるサービスをもっと突き詰めて考えなければならないと。
このことがもし私を成長させてくれたのであれば、やはりご葬儀は「教育の場」だからかもしれません。