突然お店に入ってきたお客様。
懸命に何かを伝えようとされているのですが、最初は何をおっしゃっているのかよく聞き取れませんでした。
お客様は耳が不自由で、こちらが話す言葉も聞き取りにくい状態でした。
ゆっくりとお話をしていく内に奥様が亡くなられたという事が分かりました…。
その後、ご葬儀の打ち合わせ―。
耳の不自由な喪主様。ご親戚が一緒に打ち合わせに来られておりましたが、なかなか打ち合わせが進みません。ご親戚も大きな声で何度も説明をされていますが、思うように伝わらない。
いつも以上に時間の掛かる打ち合わせの中で、喪主様がご親戚の意見を振り切って自分の意見を通す場面がありました。
それは、ご親戚からは今後の自分の生活や費用面を考えても式場を借りてどうのこうのしなくてもいいじゃないかと言われながらも、喪主様は多くの花が飾られた祭壇にしてあげたいというのが強い希望でした。
そしてお葬式当日―。
式場に到着すると喪主様は一生懸命、亡き奥様に手紙を書いておられました。
お話を伺うと朝起きてからずっと書いておられたと。
式の最後に、喪主様のお手紙の拝読が始まりました。
はっきりとは分からない言葉ながらも、一生懸命読むお手紙。
そこには奥様との出会いから想い出、入院生活から死に至るまで、喪主様の思いつくままに書き綴られておりました。時折涙しながらも、心強い言葉で聞いている者の心の奥まで響くお手紙でした。
そしてお別れの時―。
お柩の蓋を開けた途端に、奥様の傍に駆け寄る喪主様。
スタッフからお花を受け取った喪主様は柩にお花を入れる度に「ありがとう、ありがとう」と奥様に声をかけて手向けておられました。
それはまるで奥様との数々の想い出を、お花一輪ずつに込めているかのように。
その想い出でいっぱいになったお柩をみて、ほっとした表情をみせられました。
「お花の祭壇にしたい」という喪主様の思いは、こんな風に奥様と最後の語らいをされたかったからなのだろうと思いました。
周りのご親戚も、その喪主様の姿を見て「よかったな、花でいっぱいにできたな」と声をかけられていました。
現在、様々な葬儀のスタイルが増えてきております。
葬儀が終わってから「ああすれば良かった、こうすれば良かった」という悔いが残ってしまっては取り返しがつきません。もう二度とお顔を見る事は叶わないのですから…。
常に思うのは、お金をかけた立派な祭壇があれば納得いくのかといえばそうではない、宗教家がいなければ故人様をちゃんと送れないのかといえば、これもそうとは言い切れないなと、
自分の思い描く最高の形でお別れが出来ればもちろんそれが一番良いわけです。
しかし葬儀は突然やってくるのです。
どなたも常に準備などしてはいらっしゃいません。
祭壇のたくさんのお花をみて、私も思うのです。このたくさんのお花同様、ご遺族のお気持ちや故人様の送り方もたくさんあり、似ているようで同じものなど一つとして無いのだと。
突然のことにしっかりと向き合って対応できるのは私たち葬儀社なのです。そのためのスタッフであると考えています。
お花一輪いちりんに、ご遺族の思いがこめられているのです。
悲しみの最中にあるご遺族に、少しでも特別なお花を提供できるよう努力しなければいけないことを、お柩の中のたくさんのお花が私に教えてくれたような気がしました。