「長く離れて暮らしているから、親父のこれまでの交友関係などはよくわからない」
これが喪主様に亡くなられたお父様についてお伺いした際の第一声でした。
葬儀に参列いただけるであろう人数を確認したのですが、90歳を超えたご高齢ともあり同年代のご友人はほとんど来られず、町内会の役員をされていた関係で回覧板を回すが、それでも恐らく町内会の方々が少人数来られるくらいではないだろうか?とのことでした。
通夜が始まると、おっしゃられていた通り町内会の方々が主にご弔問になられましたが、予想外にそのほかに30代40代くらいの若い方々がお見えになり祭壇に飾られた故人様のご遺影をみてボロボロと涙を流されておりました。
聞くとご近所にお住まいの方や故人様がよく行かれていた飲み屋や料理屋の店員さん・常連客仲間のようで皆さん口を揃えて「自分だけではなく自分の子供たちのことも、子供や孫同様にかわいがってもらっていました。
本当に良いオヤジさんでした」と、おっしゃっておられました。
こんなにたくさんの方々が参列され、そのほとんどの方が涙を流し悲しんでおられたその光景を見て一番驚かれ、そして寂しそうにされていたのは喪主様でした。
後に「まさか親父と年の離れたこんなに若い世代の人から慕われていたなんて…
自分の知らない親父を垣間見ることができたような気がします」
「ただ本来ならば自分がそばにいて親子としての繋がりを持つべきだったのに、自分たち親子以上の繋がりを
持っていただいた方々がいらっしゃることに、少しやきもちのような寂しい気持ちもあります」
「もっとそばにいてやればよかった…」と少し後悔のようなお気持ちを覗かせながら私にお話しくださいました。
私が小学生くらいの時には隣の家の方を含めご近所全体に繋がりがあり、両親が出かけている際に学校から帰ってくる場合はそれまで隣の家で両親の帰りを待っていた記憶もあります。ご近所にお住まいの方それぞれがそれぞれを支え合い、特に子供たちがより安全により安心して過ごせるように協力し合っていたのだと思います。
今では特にマンション等に住んでいると隣の方の名前すら知らないくらいに近所付き合いが希薄になりつつあるこのご時世、こんなにも多くの方々に見送っていただけた故人様の日ごろの周囲に対する気遣いはどれほどのものだったのか図り知れません。
もちろん故人様のお人柄もあってのことだったのだろうとは思いますが、このような方が今もご近所に多くいらっしゃればより過ごしやすい地域づくりができているのだと思います。
先日も女児が虐待により死亡するという痛ましい事件が報道されていましたが、ご近所同士での付き合いや昔のような「世話焼きなおじさん・おばさん」がいればこの事件ももっと違った形になっていたのではと悔やまれます。
現代は住んでいる地域の他にも様々なコミュニティがあり、そのそれぞれに縦・横の繋がりが存在します。
そしてこんな時代だからこそそのコミュニティに属する全ての人が先程申し上げたような事件もなく、安全に・安心して過ごせるように、またそのコミュニティがよりスムーズに潤滑するように私たちはもっと互いに関心を持ち合い、周囲に人知れず自身を支えてもらっていることに対して謙虚な姿勢で敬意をもって感謝しながら過ごさなければならないと、『人との繋がり』をより強く感じさせていただけたご葬儀となりました。