とにかく、苛立っていらっしゃった。
何をお聞きしても、私に話し返すのではなく誰か別の人に話すかのように。
そして、常に言葉尻は語気を強めた口調でした。
それは私にだけではなく、ご兄弟に対しても同じような対応で、その場にいる皆がその苛立ちが伝染するかのように、普段は癒しの空間であるはずのご自宅が殺気立つほどの雰囲気に呑み込まれていました。
お母様の突然の死。しかもそれがまさにそのご自宅で、喪主様が気付かないうちに亡くなられていたのです。
ご自宅での急逝で警察署での検視対応がなされたため、お母様はお棺に納めさせていただき、ご自宅へお帰りいただきました。
私がご安置の準備をし、お飾りなど施しておりました後ろから、
「布団に寝かせるから」と。
私は一瞬、「お母様のお体の状況などを考えてお棺で」と、ご説明しようかと思ったのですが、それは止めました。
喪主様のご兄弟にだけはご説明をしたうえで、お棺からお布団へ移動させていただきました。
再度お体の処置を行い、整えてご安置を終えました。
布団にお寝かせすることで、喪主様が少しでも落ち着かれればと思ったのですが、お布団にお寝かせしたのを見届けて喪主様は別の部屋へ行ってしまいました。
これからいろいろとご葬儀の打合せをしていかなければならないのですが、喪主様がいなくなり、ご兄弟が呼びに行ってもどこにいるのかわからなくなってしまい、皆が困り果ててしまいました。
「いつもはあんなんじゃないんだけどね、ごめんなさいね」
時間は過ぎるばかりでしたが、私はご兄弟からできる限りお話を伺い、喪主様が戻られたときに少しでもご負担をかけずにご提案できるようにしようと私なりにどんなご葬儀をお考えか、想像しながらお待ちしていました。
どれくらい時間がたったのでしょうか?ふと喪主様が戻られ、お部屋に入られたのですが、座ろうとはされず、立ち伏せていらっしゃいました。
先程まではいろいろと考えて、喪主様が戻られたらすぐにお話をしようと思っていたのですが、自分でもわかりませんが喪主様を見た途端、敢えてこちらからお話しするのはやめよう、と決めました。
さらに時間は過ぎていきました。
そして喪主様がポツリと涙声で一言呟かれました。
「骨は全部拾ってやってくれよ」
そのお言葉を聞くまで待たせていただいて本当に良かったと今でも思っています。
それだけ呟かれて、あとはご兄弟に任すとのことでまた姿を消されました。
そして私が喪主様にこの時以降お会いしたのは、お母様の満中陰法要も終えられ、ご納骨も済まされたとのことで、不要になったものを引き下げにご自宅へ伺った時でした。
葬儀の担当者からは、通夜葬儀の際は喪主様も随分落ち着かれていたとは報告を受けておりましたが、私の喪主様の印象は、お打合わせのまさにあの時の喪主様でしたので、久々にお会いするのもなんだか緊張する思いでした。
ご自宅のチャイムを鳴らし、出てこられた喪主様は私の顔を見るなり、覚えていてくれてたご様子で、お互い少し照れくさそうな挨拶を交わし、片づけをさせていただきました。
この日は、喪主様も終始笑顔でいらっしゃり、ホッとしました。
そして本当に「別人」のように思えるほどでした。いや本来の喪主様は、いま目の前にいる方がいつもの日常の喪主様なんだろうと。
そして喪主様から「あの時は…」と。それ以上何もおっしゃられなかったのですが、私には「あの時は…」という言葉と喪主様の表情で、何をおっしゃりたかったかは充分に理解できました。
様々なケースがございますが、最愛の方の死が、とても温和な性格の方でも「別人」のように豹変させてしまいます。
そしてそこには故人様に対する複雑で様々な思いが渦巻いて、経験のある方でしかわからないお気持ちになられるのでしょう。
我々が本当に故人様、ご遺族に対して真摯に向き合おうと考えていくのであれば、自分自身にも向き合わなければならないのではないかと思うのです。
もし自分が同じ立場なら、もし自分の家族だったら…。そう考えたときに少しでもご遺族が、いま望まれているのは何なのかが、ほんの少しでも垣間見られるのではないか?と改めてご遺族に接する姿勢を自分に問い直させてくれたご葬儀でした。