昨年にご葬儀をしたお家のお話です。
実は半年ほど前に、故人様のご主人のご葬儀をさせていただいており、その数ヵ月後に奥様は医師より3ヶ月の余命宣告を受けていたとのことで、私もこのお話を聞いて大変驚いた事を覚えています。
どうやら奥様ご自身、お身体の状況は薄々気付いていたようで、その頃お寺様にあるご相談をされたそうです。
その時のお話を、お通夜の席でご遺族にされていました。
ご主人の葬儀後、しばらくしてから奥様より
「体調が悪いからしばらくの間お参りは遠慮させていただきたい。それともう一つお願いがあります」と、連絡があり、お寺様がご自宅へ伺いお話を聞いたところ
「お父さんの遺骨をお寺で預かってほしい」というお願いだったそうです。
当初はお寺に納骨する予定はなく、ずっとご自宅に置いておくと仰っておられたのに…。
奥様は多くは語られなかったのですが、お寺様は奥様の表情や口調などからその理由を悟られ、深く聞くことなく快く引き受けられご遺骨をお寺に持ち帰られたそうです。
その後数カ月は特に連絡もなく、体調も回復されたのかな?と思っていた矢先にこの度のご逝去の報せが届いたので、「まさかとは思っていたが、やっぱりそういうことだったのか…」と、非常にショックを受けたのだと仰られていました。
ご葬儀が終わり、お骨上げの後、お寺様のご提案によりお寺の本堂にて初七日が執り行われました。
初七日法要後、ご遺族に対して『初七日を本堂で執り行う提案をした理由』をお話しされました。
「もしよろしければ奥様のご遺骨を預からせてほしい」
先日お預かりさせていただいたご主人のお骨の隣にぜひ置いてあげたいという思いがあったようです。
後で聞いたところ、ご遺族はお父様のご遺骨を既にお寺に預けられていたことは聞かされていなかったようで、驚きと同時にお喜びになられお寺様のご配慮に痛く感激されておりました。
そして、それだけではなくご自身がいなくなってからの様々な準備までもされていたのかと…。
ご自身の最期を予感し、先に逝かれたご主人と遺されるご遺族の為に準備をされていたことにもとても驚いておられました。
自分に置き換えてみたとき、果たして自分にはどこまでのことができるのだろうか?
しかも誰にも悟られることなく着々と…。
それ以前に自身の最期に対して冷静に、真正面から受け入れることができるのだろうか?
そんな思いでいっぱいになりました。
以後、事ある毎に奥様のことを思い出し、自分が余命宣告を受けたなら、自分の家族に対して何をするべきなのか?そしてその行動の根本には何があるのか?を考えるようになっていました。
そしてふと気付いたことがありました。
第一には『遺族に迷惑をかけたくない』ということがあったのだとは思いますが、何よりも、ご主人のことやご遺族のことを、自分のこと以上に大切に思われていたんだということに。
だからいかにご病気で辛くても、あのような行動をとられることができたのだろう、と感じました。
私自身、身内の病気が発覚し『万が一』を考える状況に置かれています。
この状況下で家族に対して、そして妻や子供たちに対して何をするべきか、どのような気持ちでいるべきか、そんなことを考えているときにいつも奥様の行動の一つひとつが思い起こされ、自分が今すべきことを教えていただいたように感じております。
このような貴重な現場に携われたことに感謝の念しかありません。