世の中が正常化
されているのか、どうか。企業に努めるものとして、そして一人間として、メディアで報道される「いじめ」「ハラスメント」の問題はもちろん意識してみています。
「いや、そもそもそういう捉え方が、ハラスメントなんだよ!」と言われるのではないか、という疑心から、「注意」や「指導」すらできなくなってしまうのでは?という不安が、現実になってきているようにも思えます。
あるスポーツ選手が言っていましたが、「これからの時代、自分に厳しくできる人間じゃないとダメになってしまう。誰も厳しくは指導してくれなくなるから」と。
そう「厳しい」という言葉の解釈自体が、時代、年代によって変わってしまっているのではないか?と考えるようになってきました。
厳しい=すべてパワハラ、厳しい=相手を精神的に追いやってしまう危険な行為、と。
昔はねー、なんて話をしたところで「それってただのパワハラですね」と返してくる人も多いようで、つくづく「いろいろ言っているようだが、逆ハラだってあるんだよ」と言いたくなることも。
感動や感激も、すべて人が与えてくれるもの化しているように個人的には見えてしまう現代社会。
自らが変わろうとし、厳しく律せられる人こそ、素晴らしい指導者になれるのでしょう。
H.O