樹木葬
樹木の下に遺骨を埋葬する「樹木葬」の墓地が近年、京都市内で増えている。自然回帰のイメージに引かれる人や、継承の必要が無い永代供養墓を生前に契約する人のニーズを取り込み、寺院や市営墓地が樹木葬地を相次いで設けている。地縁血縁関係が薄れ、少子高齢化や過疎化で墓の継承に悩む人も増える中、注目を集めている。
と、こんなニュースがありました。
子供にまで面倒をかける訳にはいかないと樹木葬を考えられている方もおられると思います。ただ、その一方で面倒ながらも大切な繋がりだと今まで続いてきたご先祖、親戚との繋がりが希薄になっていくのも事実です。
なにかご不安なことあればいつでもご相談ください。
早いもので今年ももうすぐ終わろうとしております。
私どものブログをご覧いただいている皆様、
今年も一年間本当にお世話になりました。
今年の大阪の年末年始は天気がよさそうです。
初日の出もきれいに見える可能性が大きいそうです。
新年を迎えるときに天気が晴れだと、うれしいものですね。
自転車で墓地の前を通ることがあるのですが、この時期にはお墓やお地蔵さんにきれいなお花やお供えをされているのをよくみます。
年末の忙しい中でも、お墓をきれいにして年を越す準備をされている方が多くいらっしゃるのがわかります。
今年はお墓参りに行けていないですが、帰ったときには手をあわせにいこうと思います。
今年一番の寒波が押し寄せて一段と寒く、そして年末らしくなってきました。
先日一人の男性がご来店され、「まだまだ先の事だけど、夫婦どちらが先に亡くなってもあわてないように準備しておきたい」とお話しして下さいました。そのような事を考えられるには本当にまだまだ遠い未来のようなご年齢に思いましたが、最近ではこのような方が増えておられるように感じます。
また終活として、こちらもまだまだお若いうちから身のまわりの整理をされるお話しもよくお聞きします。私もこちらに関しましては断捨離を意識する事も手伝って、最近少しずつ迷って手放せなかった物の処分も思い切って片づけていくようになりました。
後に残る人に迷惑をかけたくないという思いと、世の中がそのようにしましょうと働きかけている時代になったのかもしれません。
先日、実家に帰った際に祖母と仏壇の掃除をしました。
古い仏壇で飾りが多く、よく見たら飾りの隙間に誇りがたくさんたまっていました。
面倒でしたが、埃を払い固まった蝋を溶かし香呂の灰を新しくして、お正月ようの花を飾りました。
すっきりと正月は迎えられそうですが、古い仏壇の手入れは大変です。
当社では仏壇の掃除などもしているので、仏壇でお困りの事がありましたらお問い合わせください。
昨日はお休みだったので伯父宅へ行っておりました。
月に一度、お寺さんが来られる日だったからです。
日頃は、伯父に任せっきりになっているのですが、12月くらいはと思いお会いしました。
私のことを憶えていてくださって、ホッといたしました。
さて、今年もあと少しです。
今日は事務所の大掃除の日でした。
私にとって何回目の大掃除だろうかと思いながら本日も完了いたしました。
通常の掃除では気づけないことが気づけたり、整理整頓したりと私たちスタッフにとっては
大切な時間です。
来年もあらためてお客様のご不安やご心配ごとが少しでも安心にかわるよう
スタッフ一同、精一杯の力を出しますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今年の漢字は「災」でした。
大阪も地震に大型台風に、と災害が重なった年でした。
なぜ災いはもたらされるのか?自然災害であれば、自然の驚異であるとか、自然には敵わないだとか、よく言います。
災い=わざわい の「わざ」というのは辞書によると「隠された神の意図」であり、何かしら人間界に罰を与える目的との見解が載せられております。
神という、なかなか偶像化できないが、ほとんどの人間が何かしら影響を受けてしまう存在で、ほぼ共通の概念が人々の頭に刷り込まれている、その存在が、いわゆる怒りの様子を表したのが「災難」ということでしょうか。
災難=天罰と、本気でとらえて、信じてやまない時代があった、いや今もなお、そう信じていらっしゃる方も多くいるかとは思いますが、怒りを鎮めるために様々な行いや行事がなされたわけです。
一般庶民は別として、たとえば人の死を、穢れととらえることもございます。つまり、これも神のお怒りに対して、畏怖の念を抱く、おそろしい出来事と。
ですから、葬送の儀式が、何日間にも渡って行われ、遺る者らに災いが降りかからないようにと、きっちりと儀式が行われた、としてもなんら不思議なことではありません。
歴史学者ではないので、この考えが正しいかどうかはわかりませんが、何日にも渡って儀式を執り行うことで、遺された者は、その日柄で恐れや忌みが薄らいでいき、普段の生活へと徐々に戻っていく、何も起こらない、平時に戻った、と安堵のときを迎えたのでしょうか。
宗教心や信仰心がなくなっているように捉えられがちな現代、そのことで葬儀が簡素化され、死に対して無頓着なように言われております。ちゃんとお経をあげてもらわないと祟られる、なんてよく聞く話でしたが、いまでは非科学的だと、逆に葬儀に宗教家を招くことを非難するほどの方もいらっしゃいます。
宗教心があるとかないとか、非科学的だとか、そういうことよりも、現代の葬儀の捉え方は、進歩していると考えてみてはどうなのかな?と思うところもあります。年末ではありますが、そういうことについて皆が集まられるときこそ、そんな話もありかなと思うのです。
さて来年は「災い転じて福来たる」という1年になりますように。
ドラマ西遊記でお馴染みの三蔵法師をご存じですか。私が子供の頃にテレビの再放送で見た記憶がございます。
三蔵法師役が故夏目雅子さん。孫悟空役が堺雅章さんだったと思います。
この三蔵法師、戒名は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)といい実在の人物というのは皆さんご存知ですか。
孫悟空や沙悟浄、猪八戒などは空想ですが、玄奘三蔵は徒歩で実際に中国東部の成都から天山北路へと渡るルートを辿って中央アジアの灼熱砂漠や険しい山脈を越えてインド北部のナンラーダへ行ったそうです。
釈迦の教えの本質を知りたい一心で無謀な旅をし20年近くナンラーダの仏教学校で学んだそうです。
帰国後、持ち帰った経典を漢文に訳すという大偉業を成し遂げ、それが日本へと伝わり私たちが耳にしているお経の一部になっているのです。
なんだか、身近なお経もその歴史背景を知ると聞き方が変わってくるように思います。
残すところ一週間となってまいりました。
本当に速いです。
今年は平成最後の年末年始。
今年も本当にいろんなことがありました。
沢山の方とのご縁を頂きました。
本当にお世話になりありがとうございました。
今年弊社は140周年を機にロゴマークなどを一心しました。
今まで以上にお客様の為にいい葬儀を提供できるよう
精進して参りますので
これからもよろしくお願いします。
仏教では人には百八つの煩悩があると考えられており、その煩悩を祓うために除夜の鐘の回数は108回とされています。
…とここまではほとんどの方がご存知かと思います。
では、なぜ大晦日に鐘をつくのかご存知でしょうか?
本来は日頃から仏教の修行を積むことで煩悩を取り除き、悟りを開くことができるのですが除夜の鐘には厳しい修行を積んでいない我々にも心の乱れや汚れを祓う力があるとされています。
また、除夜の『除』とは古いものを捨て新しいものに移るという意味があり、除夜とは除日(一年の一番最後の日)の夜のことをいい、大晦日を差します。
その為、普通の日ではなく除夜(大晦日)に鐘を打つのだそうです。
ありがたい話ですね。
今年は家族全員で今年一年の汚れを落としに行きたいと思います。
本日は、お骨上げの際にご用意している骨壷について少しお話ししたいと思います。
自分の家のお葬儀の時に、なんで二つも骨壷を用意しているんだろうと不思議に思っておりました。そして、葬儀業界に入り勉強してみた所、本骨と胴骨で分けるのは関西地方の風習のようで、地域により「喉仏のみ」「喉仏と頭の骨の一部」「喉仏と手足の指の関節」を本骨として扱い、それ以外を胴骨として別容器に納めているようです。本骨は、本山に胴骨は、墓地に納めるのが一般的なようです。
普段不思議に思っていても、何でだろう?と思うだけで調べたりしない事が多くあるんだなと思いこれからは調べていく癖をつけていきたいと思います。皆さまも、不思議に思うことを調べていくと色々な知識が増えて人にも教えていけるのではないでしょうか。
本日の大阪は日差しがあると暖かいです。
朝の番組で大掃除するには最適と言われていました。
窓ガラスをふいたりする時、寒い中されるよりはこのような暖かい日が作業も進みやすそうです。
はやいものでもう12月も後半にさしかかりましたが、年賀はがきの準備もお済みの方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
先日友人が、子供が生まれたからその写真を年賀状に・・・と準備をしていたそうですが、喪中になったため、年賀状は送らないようになったと言っていました。
もしハガキを送った後に喪中になった場合どうすればよいか、お正月の過ごし方はどうすればよいかなど疑問に思われることもあると思います。
気になることがございましたら、いつでもお尋ねください。
12月に入り、グンと寒くなる日やまだ少しは穏やかな日があったりと、風邪をひきやすい季節になりました。空気も乾燥し、いよいよインフルエンザの声が聞こえたりしてきます。
年賀状の投函受付も本日から始まるようです。
年賀状を書かれる方も年々減っていて、特に若い方などはメールやラインで新年のあいさつを済ませるのが一般的になっているようですが、新年の朝、家のポストに入れられた年賀状を読むのはその年一番初めの楽しみではないかと思います。
弊社でも年賀状の準備が着々と進み、年末の行事のひとつとして、年の瀬を感じております。
新年の準備で何かと気忙しくなる事だと思いますが、どうぞお体にはお気を付けくださいませ。
少し前の休日に実家のある高槻に帰りました。
大阪北部地震から半年が過ぎようとしていますが、まだまだブルーシートがかかった屋根が目立ちました。
調べてみると、住宅被害は計5万8322棟。7月の西日本豪雨の5万2033棟、9月の台風21号の5万869棟、北海道地震の1万368棟、台風24号の5744棟を上回り、今年の災害で最多。
さらには一部損壊というのが厄介なようで
被災者生活再建支援法は全壊や大規模半壊のみが対象。各市町村で保護はしているようですがなかなか追いつかないのが現状だと。
災害はわからないし、仕方ない。
そう考えてはいませんか?ある程度はそうだと思います。
けれどそれを最低限に抑えることはできると思います。
備えあれば憂いなし。
お葬式のこともそう思います。
何か少し、ほんの些細なことでも気になれば聞いてみてください。
お待ちしております。
早いもので今年も残り13日となりました。
私事ではありますが、祖父が入院して一年少し経ちました。
この1年、少しづつ小さくなる祖父をみて、人はこんな感じで人生を終わらせていくのか、と思う事があります。
いつか通夜後の法話でお寺様が、故人様は最後に自身の身を持って、命の尊さを残された者に教えてくれる、とお話をされていました。
出来るだけ、祖父と一緒に過ごそうと思いました。
最後のイゾラドという番組が、NHKスペシャルでやっておりました。アマゾン奥地に住んでいた文明社会と未接触民族
のある部族の最後の一人と思われる人の30年間の記録。
以前、ヤノマミ族の特集などを見ていた私は、今回も興味深く見させていただいた次第です。
とにかく言語がお互いに理解できない、理解できる言語が800語程度ということで、コミュニケーションがとれない
状態です。文明社会の異国人同士であれば、共通認識や共通概念がたくさんあるので、言葉が通じなくても身振り手振りで
理解が深まるのですが、そもそも認識も概念もまったく違うとなると、同じ言語でさえももしかしたら違う意味で使われているかもしれないという
可能性もあるわけです。
そんな部族の最後のひとりが、年齢的にもかなり高齢になり、もしかするとここ数年で途絶えるであろうという状況だそうです。
確かに歴史的に見て興味深いのではありますが、なにしろ1万年前の生活と同じことをこの現代でやっていたということですから、
驚くというよりも、世界は狭くなったとはいえ、未知なる世界はまだまだあるということに若干ショックを受けてしまいます。
数年前までは、もう一人兄弟のような存在がいましたが、先だってしまい、本当に会話のできる相手を失ってしまったのです。
番組中、「死」ということに関して、いろいろとでてきたのですが、彼らにとっての「死」の概念もまた、私たちとは全く違っていると
推察されました。
この番組見ておりますと、昨年ベストセラーになりました、サピエンス全史のことを思い出さずにいられないわけで。
人類は多くの部族に分かれていたものが、ゆっくりと少しずつ、統一への道のり進んでいく…。それが、思想や宗教、そして貨幣の力によって…。
この最後のイゾラドの件も、考えてみれば、現代の文明社会にいる私たちから見れば、一つの部族が絶滅するということですが、過去の歴史から見れば
こういうことが繰り返しどこかの時点で起こり、そして今の文明社会があるわけです。
こういうことを考えたとき、個々の死生観、各民族の死に対する考え方というのも、実は文明に左右されている点も少なからず影響を受けていると
思うのです。
それは宗教という点から、そして地域性、気候や風土といったものもそうでしょうし、その国が刻んできた歴史の出来事もそうでしょう。
それが、葬儀のあり方や風習に表れているのだと思うのです。
逆に言い換えれば、私は、葬儀や弔い方ほど自由であって良い儀式ではないか、と思うのです。
番組中、おそらく部族の仲間たちが、どのようなことでかは、はっきりしませんでしたが、亡くなっていく様を話しているだろうという
ところがありました。
そのときの彼の表情は、厳しくも悲しげな表情に見えました。
文明社会にいなかった彼が、死に対してみせる感情が、悲しい、つらいという思いであるとするならば、これこそ文明、非文明どちらも関係なく
共通概念であるかもしれない、そう感じ、太古の昔から死者に花を手向けていたという記述も、納得いくのです。
寒い!!
外に出ると思わず言ってしまいます。
先日も、家の中は暖房で身体があったまっていたので、なんとなく薄手の上着で
外に出てしまい、大失敗。そして、「寒い!!」となるわけです。
さて、先週母から電話があり、今日叔父が訪ねてきたとのこと。
何かあったのかと、よくよく話を聞いてみると、
15年程前に亡くなった祖父名義のものが残っていて
名義変更の手続きをしなくてはならないので、
姉弟全員の印鑑や書類が必要だったのだそうです。
祖父名義のものが残っていたとは、皆知らなかったようで、
最近、何かのきっかけで知って驚いたのだそう。
今回の場合は、書類さえ調えば、手続きは早く済むらしいので良かったのですが、
手続きや書類を集めることがなかなか難しい方々もいらっしゃると思います。
そして、過去に手続きせずにおいていて、そのことも忘れてしまっていることありませんか。
知らないと損をしているかもしれません。
後になってからだと面倒なことがあるかもしれません。
大掃除で何か出てくるかもしれませんね。
今年は、まだ2週間以上あります。
年内に済ませておけることがあるなら、済ませてしまいましょう。
私も、亡くなった父の名義のものがまだ残っているか考えてしまいました。
まだ、知らないことがあるかもしれないですね。
テレビ番組で「吉備真備・きびのまび」を紹介されていました。
歴史が好きな方はご存じかもしれませんが、奈良時代の高名な学者で天皇に仕えていた人物です。
出身が岡山県倉敷市真備町で、西日本豪雨で甚大な被害を受けた地域でもあります。
遣唐使として唐の国から当時最新の技術や統治法を日本に伝え、戒律の僧として高名だった鑑真を日本へ連れてきたのも吉備真備です。
出世欲が無くコツコツと真面目に仕事をする人物でしたが、それが逆に不信がられ周りの策略で生涯に何度も左遷になり辺境の地へ送られるのです。
しかし、左遷先での困難な問題に真摯に向き合いそれが評価され最終的に右大臣にまで上りつめるのです。
番組を見ながら、奈良時代も平成の世も同じで、どんなことでも悲観せずに真摯に向き合う姿勢が一番大事なのだと吉備真備に教えられたような気がします。
今年もあと半月となりました。急に冷え込みだし、寒い日が続いています。
私どもでは大切な方を送られるお手伝いを
させていただくにあたり、少しでもご遺族の負担を軽減できるように半歩先の気づかいを心がけております。
いづれはおとづれるるその時に、ご遺族が故人様との別れをゆっくりと過ごせることができるようにさせていただく。
これが私どもにできるサービスだとおもっています。
これからも精進してまいります。
本日は私自身の宗旨である天台宗が、どのようなことを教える宗派なのか少しお話しさせて頂こうと思います。
天台宗では、私たちの苦しむ原因として、3種類の煩悩を教えています。
これを「(さんわく)」といいます。「惑とは煩悩のことです。この煩悩を断ち、さとりを開くことを「断惑証理(だんわくしょうり)」といいます。
では3つの煩悩とは何かというと、
三惑の1つ目が「見思(けんじ)」で、普通の108の煩悩にあたるものです。2つ目が、「塵沙(じんじゃ)」で、世の中の知識がないために、相手と話が合わせられず、導くことができないことです。3つ目が、「無明(むみょう)」です。無明とは中道の真理に無知なことで、ここでは煩悩のことです。
この3つの煩悩を断つことによって、
煩悩即菩薩、生死即涅槃の真実のさとりを開くことができると言われています。
家の宗旨が天台宗ですが、天台宗について知らなかった事が多くありました。皆さまも、家の宗旨について調べたりしてみるのも良いのではないでしょうか。