届出窓口
昨日三月一日のこと。
この日は、お客様からお預かりしている重要書類を提出するため、区役所に赴いていました。
何だかいつもに比べてやたらと混んでる… そして届出窓口に向かう男女ペアが多いような。
調べてみると、この日は「大安」と「一粒万倍日」の重なる、暦上とても縁起の良い日とのことでした。
しかも「一粒万倍日」は、Twitterのトレンドワードにも上がっているほど。なるほど。
こうした験担ぎや縁起物を、かつての私は、非現実的だとか、あてにならないだとかで歯牙にもかけず、ただの「信心」の差でしかないと思っていましたが、この考え方はすごく勿体無いのかもしれない… と感じるようになりました。
一粒万倍日は新しい財布をおろす上でも絶好の吉日であるらしく、例えば、財布を新しく、せっかくなら次の縁起の良い日に変えたい、じゃあこの日までに買おうか、それなら前から気になっていたアレにしようか… といった、先々の楽しい予定がぽつぽつ増えていくような、生きていく上で欠かせない、そんな小さな充実感を生み出す側面も、こういった縁起物は担っているのでしょう。
そして葬儀においては、今と昔で傾向の差は異なれど、やはり「友引」の存在は見逃せないものです。
その善し悪し・避ける避けないのどちらにせよ、相当な数の人達によって支持され重んじられてきた歴史があるからこそ、文化として今も残存しているということで。根底には不特定多数の人達の思いや願いがあるのだと、思いを馳せずにいられません。
縁起ごとの由来や慣習に合わせて行動を選択することで、物事が上手く進むための心強い味方をつけているような、そんな自分もまた文化の継承に一役買っているような……そういった見方もできるような気がします。
暦や縁起物って、本当によくできたシステムです。
2年ぶりにこの春、遠方にあるお墓参りに行く予定だったのですが、再びコロナが増え始めた影響で落ち着いたらという話にまとまりました。
社会人になり、家族みんなの予定が合わせづらいので、次に来るのはまだまだ先になりそうで申し訳ない気持ちでいっぱいです。
お墓参りに行かずとも故人様を偲べるのは承知していますが、自分の中の節目として毎年欠かさず行っていたものがコロナ禍でできない状況に歯がゆさを感じます。
何も気にせず行ける日常が早く戻ってきてほしいです。
うちには二人の子供がいます
どちらも女の子で保育園に通う年齢であります
姉妹とはいえ、とてもくだらないことでよくケンカしてます
私か妻が間に入ってお互いに謝りあってもらったりします
子供のケンカならそれで概ね終わりですが大人のケンカはそう簡単には終われません
ロシアとウクライナで停戦交渉が始まっているみたいですが
はやく落ち着いて平和になることを切に祈っております
コロナの影響でしょうか、火葬場の修理の影響でしょうか、
大阪市内の火葬場の予約が非常に取りにくくなっています。
本日27日にご依頼のお客様で火葬が最短で3月5日。
長期間お待ちいただくご遺族様の心情を思うとなんだか心苦しくなります。
一時的なものなのかどうなのかわかりませんが、早く通常に戻ることを願ってやみません。
ロシアがウクライナに侵攻しましたね。
自分が生きてる間に戦争を見るとは思いませんでした。
スマホのアプリでTikTokというものがあり、先日TikTokを起動すると、兵が戦っている映像、地下に隠れている人々、ミサイルが街に落とされる瞬間、などの動画が投稿されてました。
家族を守る為自ら戦うことを志願した方、映画でよく見るシーンを英語で「必ずまた会えるから」と言って泣きならがら別れを告げる家族もいて、とても胸が痛かったです。
被害を最小限に抑えられればいいのですが、日本も巻き込まれる可能性は0ではないと聞いたのでとても不安ですね。
人はいつ亡くなるか、わかりません。
通夜も葬儀も急に決まるものです、お参りにきて欲しい人、どんな式にしたいか希望がございましたら、今のうちに相談しておいた方がいいでしょう。
小学生の頃、先生に質問されました。
「戦争はなぜ起こるのか?」
民族や宗教などのアイデンティティーを守る為の戦い。
資源などの物を求める為の戦い。
そして、領土拡大の為の戦い。
ウクライナで起こっているのはこの領土拡大の為の戦いというのが1番大きな要因であると言われています。
これは本当に怖い要因で、冗談抜きで第三次世界大戦に繋がる可能性すら否定できなくなります。
ロシアはエネルギー資源や小麦の輸出で世界有数の規模を誇っているので、日本でもすぐに日常生活に影響があると予測されています。
影響がインフレだけならまだ良いのですが、北方領土、尖閣諸島などの領土問題を抱えている日本。
ウクライナで現在までで100人以上の方が亡くなり、10万人以上が国内からの避難行動を起こしています。
有史以来、地球上で戦争が無くなった世界というのはまだ1日も実現していないと言われています。
まずは物事をよく知り、よく考え、自分が出来ることをしっかりやろうと思います。
今朝、水仙が咲いているのをみつけました。
数年前、祖母の庭から株分けをしてもらい
実家の庭に水仙を植えた事をふと思い出しました
黄色い水仙です。
今年も咲いたか、母に聞いてみようと思います
まだまだ寒い日が続きます。
もう来週には3月になるのですが、
いつから暖かくなるの?と思うくらいです。
マスク生活になり息苦しさを感じていますが、
花粉症に関してはマスクつけててよかったな、と思っていたのですが、
今年は目が痒くて。目薬さしながら、まだまだ続くなと思う日々です。
さて、日々店舗の中にいると、外を通る方々が店のほうをチラッと見ながら
歩いているのを見かけます。
もちろん、店の前に案内板やチラシを貼っていたり置いてあるので
見てくださっていると思います。ガラスにうつるご自身の姿をみている方も
あります。通勤途中なのか時計を見る方も。
ご相談のために店のなかの様子を見ておられる方もいらっしゃいますので、
こちらも外を気にしながらの動きになります。
なかなか店の中まではと思われる方はご遠慮なくスタッフをお呼びください。
毎朝、店舗の中も外も掃除をしておりますので、いつでもお気軽に
お声かけください。
M1グランプリ(漫才の1番を決める大会)、B1グランプリ(B級グルメの1番を決める大会)様々な大会がありますが、H1グランプリを皆様ご存じですか。
偶然、YouTubeで発見したのですが、H=「法話」の頭文字でお寺様がお話する法話の1番を決めるという大会が毎年あるそうです。
お寺様が大会に向けて法話の猛特訓をしておられる光景は興味深い姿でした。
法話に順位をつけることは横に置いといて、若い方々が仏教やお寺様を知るキッカケのひとつになると思います。
ご興味がおありの方は是非ご覧になってください。
近しい方が亡くなられたとき、葬儀社に勤めていると、わかっているからか、何なのか、どうしたらよいのか、と悩むものだとつくづく感じました。
手順もなんでもある程度、理解しているつもりが、やはり冷静には判断しづらくなってくるものだと、実感しました。
一大事なんだと。
だから、日々しなければならないことが、山ほどあります。
葬儀社に勤める者が、大切なことは、やはりそこだと思います。
葬儀の会社で働いていると、お葬式の具体的な話を事前にしておくことが
どれほど大事か分かってくるようになりました。
私自身周りに御年寄の方が多いので機会があれば話をしたほうがいいなと
頭では理解しているのですが、中々言い出しにくいです。
葬儀社で働いていて、その必然性は承知していても
不謹慎の文字が頭をよぎります。
今欲しいものが変わるように、以前はこんなお葬式がしたいと思っていても、
やっぱりこっちの方がいいと思いなおしたり。
それを繰り返していくことで後悔の無いお葬式ができるようになっていくであろうことは、肌で感じております。
ただ最初に切り出すのは親しい間柄であるほど難しいものです。
いきなりどんなお葬式がしたいか、予算は、誰を呼ぶか。
そんなきっちりした話よりもまずは軽く今はこんなお葬式があるみたい、
お花が沢山の式をしてみたい、好きなものがあるようでしたらそれを少し取り入れた式にしてみよう、等。
世間話の延長線上でお話ししてみるのもいいかもしれません。
一度きりしかないお式です。
当然主体となるのは葬儀社ではなく、お式に参加される方々です。
皆様が納得のいくお式のイメージがあって、その式を形作るお手伝いができましたら幸いです。
先日誕生日を迎え、うちの奥さんに財布をプレゼントしていただきました
それまで使っていた財布は20年使っていたものなのでどうみてもボロボロなのですが
亡くなった父に買ってもらったもので、ずっと愛用してたものであります
うちの奥さんにもその事は伝えていましたのでプレゼントを財布にするかどうか悩んでいましたが
この財布を失くすと金銭的にも精神的にもショックが計り知れないので新しいものに替える決意をしました
今度実家に帰ったときに仏壇に置いとこうかと思います
長い間ありがとうお父様
次の財布も20年くらい使おうと思います
料理が好きです。近所のスーパーで買い物をする時間も同じく好きです。
買い物カゴを片手にぶら下げ、野菜コーナー、肉売り場の順に徘徊し、1円でも安い外国産鶏もも肉を血眼になって探し求める。
今ではそのスタイルを確立している自分ですが、かつて一人暮らしを始めたばかりの頃は当然そんなことはなく、必要な食材を思いつくままにカゴへポイポイ放り込んでいました。
鶏肉は胸とももで全然値段が違うということ。キャベツや玉ねぎで季節の移ろいを知ること。
スーパーでのお買い物のあれこれは、誰かに教わったというより、「こういうもんなんだ」と知っていくことで、経験として積み重なっていった気がします。
アボカドは自分の手でムニムニしてみなければ、お肉もパックを傾けてみなければ、その弾力や色合いにまんまと騙されてしまいます。
見ただけでは分からないこと、触れてみないと分からないことがスーパーには沢山あって、「実際に手に取ってみること」「それで感じたことと先入観を分けること」の重要さが改めて分かるし、これは買い物に留まらず多くのことに当てはまる。
臆病で小心者の私にとってスーパーは、格好の修行場ではないか。大事なことを教えてくれる、人生の恩師ではないか。ライフだけに
……と、指先を湿らさなければ袋のクチを開けない自分の不器用さに悶々としつつ、そんなことを考えていた、休日の夕暮れです。
お迎えに上がる際、安置先に応じてドライアイスが必要になる場合がございます。
人は亡くなられてから、腹部の方から痛んでくると言われておりますので、腹部を中心にドライアイスの処置をさせていただくことになります。
ご自宅でご安置の際はドライアイス必須になります、その際に勘違いされやすいのは、
部屋の温度についてでございます。
よく、部屋は冷たくしないといけないんじゃないの?とおっしゃる方もいらっしゃいが、
ドライアイス、直で当たっておりますので、無理に冷たくしなくても結構でございます。
皆様の過ごしやすい温度で大丈夫です。
また、気温の変化で、お顔に水滴がつく場合がございますので、その際はハンカチやティッシュなので、拭いて差し上げてください。
ご自宅でのご安置が、2日、3日と伸びる場合は、1日に1回ドライアイスの交換に参りますので、ご安心ください。
オリンピックがおこなわれるたびに話題となるドーピング。
今もロシアの選手が渦中に。
心臓病の祖父と同じグラスを使ったから、、、という内容の証言があったようです。
この証言が事実だったとして、はたして意味があるのでしょうか。
私はこういう話題になった時に、故意か過失かは問題では無いと思ってしまいます。
もちろん裁判などで罪の重さを決める際には大きな意味があることは理解しています。
ただ、故意であれ過失であれ起こった事実は変わらないし、起こらないように万全以上の努力をしておく事が出来ていなかったのは変わりません。
葬儀も同じです。
故人様にとって1度だけのやり直しがきかない儀式です。
何かが起こった時に故意か過失かなんて事に意味は無く、「起こさない」事こそがプロなんだと。
なんて偉そうに書いていますが、入社してから上司、先輩に教えてもらった事です。
今日も気を引き締めてがんばります。
コロナウイルスが猛威を振るい出してなかなか休日に遊びに行くことが難しいと思います。
なかなか気分転換やストレス発散も出来ないこともあると思いますが無理をせずに自宅で出来る趣味などを見つけるいい機会だと考えるのも一つの方法なのかと思います。
皆さまも新しいことに挑戦してみるのも良いかもしれませんのでいろいろやってみてはいかがでしょうか。
冬季オリンピックが開催されています。
特にスポーツが好きな訳ではないですが
テレビをつけたらオリンピックをしているので、ついつい見てしまいます。
人間は何回転までできるのだろう?
と思ってしまいます。
もうしばらく眠れない日が続きそうです。
説教臭くなってしまうので、ダメですね。
以前、なんかの機会に自分が本当に好きなことや嫌いなことを書き記すという機会があったことを思い出します。
何のためにかといえば、その人の根幹に潜んでいるものをあぶりだすという目的だったかと。
私の根底に潜むものは、恐らく…と、人様に披露するものでもございませんのでここでは控えますが、簡単にいえば劣等感のようなものです。
この劣等感が、ある意味、自分の支えになり、前向き思考にさせてくれた恩師です。
子供のころから人に尋ねたり、教わるというのがなぜか苦手で、自分ですべて解決しようとする癖は未だに抜けません。自分で考えればなんとかなるだろうと、何の根拠もないのですが、常に考えています。
ただ優秀なわけではないですし、何か後ろ盾があるわけでもないので、まあこのままでは限界があるのでしょう。
まだまだ人としてやらなければならないことはたくさんあるので、日々勉強ですが、こんな私ですら思い出せばいろいろなことがあり、他人が見てる自分とおそらく自分が考えている自分は全く違って、想像もつかないような人生だと思いますし、ましてやこのお仕事でお手伝いさせていただく故人様のことを考えますと、ご家族の思いの中で想像していくことは、純粋に勇気のいる行為だといつも思っております。
サービス業というのは、素晴らしい職業だと客観的に思い、先人を思うのです。
私の母は、一昨年亡くなった祖母の写真を冷蔵庫の上に飾っていて
いつも、何故こんなところに置いてるんだろう?と
思っているのですが、
おそらく一番よく目が行くところなのだろうと
最近感じるようになりました。
でも、私からすると写真だけが飾られていて何となくさみしい。
そこで、手元供養の小さな一輪挿しと小さい仏具を用意しました。
今は親戚が大勢集まり法事をすることもなくなっています。
毎日でなくても、時々手を合わせて少しでも気持ちが
スッとするならと思います。
最近の皆さんの供養のしかたは変化していると思います。
親戚宅に月参りに来てくださっているお寺様と会うと
手を合わせることが大事ですと言われます。
今のところ母は喜んでくれていますが、しばらく経ってからまた様子を
見に行ってみることにします。
昨年11月に入社し早三ヶ月が経ちました。
たった三ヶ月ですが、この短期間で自分の日常がガラッと変化したように思います。(一番の変化は、運転ができるようになったことです。なんとUターンができるようになりました)
掃除の仕方、物の見方…いろんな“how to”に次々と直面し、今現在の自分の力や思慮の程度を振り返り、思いやられるなあと考えることもしばしば。
しかし、職場の方々や訪問先のお客様など、この仕事とご縁があったことで出会えた方々のお言葉や心遣いに、胸が打たれ励みになり、活力になることはそれ以上です。
一日でも、一分一秒でも早く、色んなことができるようになりたいし、自分にできることを少しでも増やしながら、愚直に努めていこうと思います。
川上葬祭の良い一員となっていけるよう、精一杯頑張ります!
これからもよろしくお願い致します。