「あっ、お父さんだ」
祭壇に飾られた遺影写真をみて、お嬢さんは嬉しそうにされていました。
「お父さんがいる!」
と小さい体を一所懸命つま先立ちして、柩の中を覗いてはしゃがみ、また覗いては
しゃがみと、故人様のお顔を見られて、とても無邪気に、嬉しそうにしていまいした。
故人様はまだ40代、喪主である奥様とのあいだに、幼稚園のお嬢様と、小学生の息子様がお二人いらっしゃいました。
お嬢様はまだお父様の死をあまり理解していないようで、ずっと入院されていたお父さんが帰ってきて、自分たちのそばにいることがなにより嬉しかったようです。
次男様はお父様の死を理解できる年齢だったので、なかなかお父様のお顔を見る事が出来ず、一人椅子に座っておられました。
故人様が余命宣告を受けたのは1年前で、奥様は「覚悟はしていた」とおっしゃいました。
御主人がお亡くなりになった日にお子様たちを集め、
「お父さんはもういないけど、これから何があってもお父さんがいないことを言い訳にしないこと。お父さんがいてもいなくても、自分がやるべき事はきちんとやりなさい。お母さんと、約束してほしい」
と伝えたそうです。
その約束を守り、長男様はお通夜の日も登校し、習い事を済ませてから式場に来られました。式場に来られてからも妹の面倒をよくみておられました。
お通夜、喪主様のお姉様ご家族がご弔問に来られたときのことです。
お姉様のお子様達も小学生で、喪主様のお子様達と仲良く遊んでおられ、式場はにぎやかな感じでしたが、年長の子供たちは、「大人たちの雰囲気が何か違う」と感じたようで、読経が始まると、小さいお子様が騒いだら、注意したり、なだめたりと自分たちの役割を果たしていました。
お通夜の後、喪主様からお骨上げをお子様にさせるべきか?お父さんが骨になったのを子供は怖がらないか?と聞かれました。
私は、「お子様が嫌がらないなら、ご主人のお骨をお子様と拾われてはいかがですか?」
とお答えしました。
故人様が遺された家族へ最後に残すものは何か?
「人間、最後はこうなるのだ、ということを自らの身を以て示してくれる、命の尊さを私達に教えてくれているのです」という法話を聞いたことがあります。
今から約40年前に、病院で亡くなる方と自宅で亡くなる方の人数が逆転したそうです。
それ以前は、自宅にお年寄りがいて、だんだん弱っていき死を迎える。
といった光景が日常生活にあり、否が応でも人は死を見る機会があったように思います。
家族で看取り、葬儀も近所の方や親族が協力しあい行われていました。
今は9割以上の方が病院で最期を迎え高齢の方は施設に入所するなど、私たちの生活から
死というものがかけ離れたものになってしまったのかもしれません。
喪主様も初めてのご葬儀だとおっしゃっていました。ご自分がされたことがないお骨上げをお子様にさせることは不安だったと思います。
でも、お子様達がお通夜の席でいつもと様子が違うことを感じ、おとなしく座っている様子を拝見し、私は勝手ながら、このお子様たちは、お父様のお骨を自ら拾われてもきっと大丈夫だろうと思いました。
喪主様はお子様に、お骨上げをするかどうかは自分で決めなさいとおっしゃいました。
家族そろってお骨上げを済ませ、長男様が僕が持つと骨壺を胸に抱き、次男様が妹様の手を引いて家路に就かれました。
ご葬儀で揉める家族も多いなか、本当に思いやりのあるご家族だなぁと思いました。
そして改めて葬儀は、命の大切さを学ぶ場であり、これからもそのような場であり続けていかなければならないのだと思うのと同時に、葬儀に携わる我々スタッフが、葬儀に対しての厳粛さや尊さを真に理解し、受け継いでいけるスタッフでなければならないという意味なのだと感じさせていただいたご葬儀でした。
私は今でも、そのときのグッと背筋が伸びる感覚が強く残っております。