お葬式とはその人の生き様そのものだといわれる方もいます。
昔と違い今は、多種多様なお葬式、弔いのカタチがありますので、その人の生き様がどのようなものだったか垣間見られることがございます。
昔のお葬式であれば、会葬者の人数や顔ぶれ、また祭壇の豪華さで、その方の社会的地位はよくわかったものだと聞いたことがあります。
現在はといえば、社会的地位やそういったことには敢えて拘らず、近しい者や本当に縁の深い者だけで執り行うことも多くなった結果、故人らしさが随所にみられるようになっております。
例えばご遺影もそのひとつで、最近では故人らしさを残すために敢えて加工はせずにそのままの洋服や、時にはサングラスを掛けられたままのこともあります。
そして以前であれば、ご遺影が笑顔なのは…とおっしゃられる方も多かったのですが、「その笑顔が故人らしい、誰に見せるわけでもないのだし」と、ご希望通りのお写真をご遺影に使われています。
よく「どのお写真がいいと思います?」と、プロの意見を聞かせてほしいとおっしゃる方がいらっしゃいますが、そんな時私はよくこうお答えいたします。
「みなさんが思っていらっしゃる一番故人様らしいものを選ばれるのがよろしいかと思います」
そして、ご親族を式場にご案内したあと、最初の一言が「きれいな写真、ありがとうございます」とお喜びいただくこともよくありますが、「いえ、皆さんが選ばれたお写真がよかったんですよ、きっと故人様もお喜びのことかと思いますよ」とお答えしております。
お棺の中に納めて差し上げるものもそうです。故人様にちなんだ様々なものをご用意されます。
「この洋服お気に入りで、お出かけの時には必ずこれ着ていたから」
「ぜんざいが好きで入院してからは食べられず、もう一度食べさせてあげたかったから」
「この本読んでいる途中で、きっと結末が気になっているだろうから…」
「お酒もタバコもずっと医者に止められていたのですが、もう我慢しなくてもよいので、思う存分入れてあげようと思って」
と、例を挙げれば枚挙に暇がありません。
そして決して品物だけではありません。
明日は何時に式場に来られるかお聞きしたところびっくりするくらい早いお時間をおっしゃった方がおられました。
その理由を伺うと、故人様はお風呂も一番風呂、駐車場に車停める時も1番を選ぶようなとにかく一番がお好きだった方だとのことでした。
ですから、もう式の時間も火葬の時間も変えられないのでせめてなにか一番のことをしてあげたかったと、だから誰よりも早く式場に来ようと決めていたとお話しくださいました。
そのほかにも、
昔すごく褒めてくれたオカリナを、最後に枕元で演奏してあげたい…
私が画家になるのを一番応援してくれていたから、葬儀の様子を描いてこれを部屋に飾ってあげるのだと、ずっと絵を描いてらっしゃる方。
こんな気持ちの伝え方、送り方もあるものだと温かい気持ちになりました。
皆様それぞれの想いで故人様と最後の時間を過ごされます。
一人ひとり人生が違うように最後の想いも違う。そういうそれぞれの想いを少しでも形にできればと強く思います。
ただ、葬儀とは葬送儀礼という儀式です。儀式ということは宗教家をお招きすればその宗教に沿ったしきたりや決まりごとがあります。仮に宗教家を招かず無宗教で行われたとしても葬送という厳粛な場面がなければ、メリハリもなく意義も見いだせないことでしょう。その大切なしきたり、決まり事には親戚づきあいであったり、ご近所との繋がりであったり、親から子へ伝えるべきこと、感じてもらうことたくさんございます。
そんな意義をしっかりお伝えし、守っていくこともこの仕事の大切なことのひとつだと思っております。
これはこうするものだ、こうするべきだと固執した考え方になってしまえば、ご遺族のお気持ちをうまく汲み取れずそれぞれの想いを形にするのが難しくなり、自由にしすぎれば厳粛さそのものがなくなってしまう。そのバランスが難しいところですが、故人らしさやご遺族の想いをいかに表現してさしあげられるかが、私の最大の仕事だと感じております。