「母からの最終試験」
喪主様と初めてお会いしたのはお迎えにあがった病室でした。
「母がお世話になりました」と看護師さん1人ひとりに丁寧にご挨拶されている姿が印象的でした。
葬儀の打ち合わせの為にご自宅へ伺うと、リビングにたくさんの荷物が。
お母様は手芸が趣味で様々な発表会などで賞を貰う程の腕前だったとか。
その作品達を整理していたとの事でした。
打ち合わせのはじめに喪主様に何か特別なご希望はないかと質問すると「3つ考えていた事がありまして、、、」と紙を1枚渡されました。
箇条書きになった内容は、①限られた親族と手芸友達だけしか呼ばない。②手芸の作品を式場に展示する。③好きだった赤とピンクを中心に祭壇をデザインする。というものでした。
3つのご希望全てに対応出来ることをお伝えし、個人的に気になった①の参列者について詳しく伺うことにしました。
「家族葬」という一言で表せる内容をわざわざ一番はじめに書いてあることに少し違和感を覚えたからです。
喪主様から伺った内容はなかなか壮絶な話でした。
お母様は2度結婚されており、1度目はお金持ちの家に嫁がれた。相手は20歳年上で2人の子供がいる所謂「お金持ちの後妻」だったそう。
嫁いだ家では親戚中から扱いが悪く、盆や正月に集まった際は悪口を言われながらお手伝いさんと同じ仕事をさせられていた。
1度目のご主人が亡くなり遺産相続でも揉めに揉めて相続を放棄されたとの事。
そんなお母様を癒してくれたのがパート先で相談に乗ってくれた普通のサラリーマンの男性。
この方が2度目の結婚相手となり喪主様のお父様にあたります。
しかし喪主様が小学生の頃にお父様は病気で亡くなられ、それからはお母様が1人で仕事をしながら喪主様を育てられたとの事。
喪主様は学生時代に仕事で忙しいお母様に対して寂しさを紛らわすように仲間たちと悪ぶられていた時期もあったそうで、その頃の写真を見せていただきましたが見事なリーゼントでした。
苦労をなされてきたお母様を送る葬儀に、昔お母様を苦しめた人達は呼びたく無いとの思いから出てきたご希望でした。
しかし、何の皮肉か、通夜が始まる10分前に驚きの光景が。
1度目のご主人の子供(喪主様の義兄と義姉)が式場に来られたのです。
喪主様もどこから話が伝わったのかわからないとの事でびっくりされていました。
しかもその義姉という方が相当我の強い、感情の起伏の激しい方で、式場に来るやいなや「式場が遠い」「こんな寒い日に」「父の葬儀とは大違いだ」と、失礼な事を大きな声でおっしゃいます。
まずは落ち着いて式事を進行する為にもお席へ案内し、ひとまず問題無く通夜のお勤めは終了。
しかし終わってからも私に「葬儀代はいくらか?」と他の人にも聞こえるように聞いてこられ、こちらも冷や汗だらけでした。
翌日も同じく葬儀の直前に来られた義兄姉は私に「私達が1番前の席だ」とおっしゃいます。
喪主様に相談し、他の親族も気をつかって席を移動してくださいます。
様々な事が起こりながらもなんとか無事に葬儀は終了し、皆に見送られてお母様は荼毘に付されました。
それでも、これからまた一波乱あるのではないか…と内心ハラハラしておりましたが、お骨上げの際に皆様が斎場へ来られた時に雰囲気が大きく変わっている事に驚きました。
なんと、皆様がとても笑顔になっているのです。
詳しく伺うと、精進上げの料理屋でも義姉は好き放題に振る舞っておられたとか。
料理屋の店員さんへ暴言を言い出したのを見かねて、喪主様が「さすがにこれは違う」とついに一喝し、義姉は驚きと憤りですぐに帰られたそうです。
「母親は火葬中で料理屋にはいないからね」と、あの学生時代の顔でおっしゃる喪主様。
全てが無事終了した後に喪主様とお話したところ、「ずっとイライラしていたが母親のためと思えば我慢出来る気がした」と。
「一緒に我慢してくれて本当にありがとう。若い頃にいっぱい迷惑かけた分、最後ぐらい問題起こさず送ってあげたかった」とおっしゃっておられました。
葬儀に携わる仕事をさせていただき、同じ葬儀は無いと頭では理解していたつもりでしたが今回の体験ほどそれを実感したことはありませんでした。
少し大袈裟な言い方かもしれませんが、故人様が歩んでこられた人生が葬儀にあらわれるものなのだと。
そんな無限の形を持つ葬儀に全て対応できるよう、どれだけの知識と経験が必要なのか。
奥が深く幅も広い、葬儀の知識だけではなく世の中の出来事や価値観をも必要とする。
満足する事なく精進し続けるのだと気持ちを引き締めてもらうような体験でした。
「昔やったら絶対すぐに追い出してたけど、親戚から大人になったって褒められたわ」「母は私の気が短いところをいつも心配してたけど、ちょっとは安心してくれたかな」
そんな言葉をおっしゃる喪主様を見て、命がけで育ててきたお母様から、大切な息子様へ与えた最終試験に、息子様は見事合格されたのかなと。
このご葬儀が、まさに命をもってして親から子への教育の場になったのではないか、と想像していました。