お世話になった方を送りたい気持ち
「家族葬」という言葉が聞かれるようになって、もう何年も経ちます。
私が葬祭業に携わり始めた2001(平成13)年頃は、今でいう「家族葬」を「密葬」と言っていたように記憶しています。
2008(平成20)年に東京の葬儀社に勤めることになったときには、もはや「家族葬」は当たり前のものとして都心部を中心に広く定着し始めていました。
そして、コロナ禍を経て一般の会葬者の方にも参列していただく、いわゆる「一般葬」をすることが当たり前だった地方にも、「家族葬」が広まりつつあるのが現状です。
「家族葬」と一口に言っても定義は曖昧です。
さて家族とは、どこまでが家族?となります。
本当に家族だけ、例えば故人様のお連れ合い、お子様、そのご家族くらいまでのこともあれば、近しいご親戚、親しかったご友人までご参列されることもあります。
どちらにせよ、喪主様が、参列してほしい方にお声掛けをしないと、参列することができません。お世話になった方を、葬儀に参列して送りたいと思っていても叶わないこともあるのが、実際のところです。
私自身は、葬儀に参列する機会は少ないです。曾祖母や祖父母以外はほとんどありません。
そのなかで、今から6年くらい前に亡くなったのが、私の父方の祖母の従妹です。
私の年代で、自分の祖父母のいとこと面識がある方は、なかなかいないのではないかと思います。
けれども、私にとって祖母のその従妹は、幼少期の私を面倒見てくれた人の一人で、大変お世話になった人なのです。
当時、祖母の従妹は、実母(私の祖母の叔母)と息子2人の4人暮らしでした。お互いの家は徒歩1分ほど。30年以上も前の昔のことですから、味噌や醤油の貸し借りもしていた仲で、親戚以上の付き合いをしてきたと思っています。
私の祖父が入院して大変な時は、数日間、私を預かってくれていたと聞いていますし、それ以降も、私の親が留守のときは、学校から直接、祖母の従妹の家に帰ったりしていました。それくらい本当にお世話になっていましたし、可愛がってもらっていたのです。
その祖母の従妹が亡くなったと連絡があったとき、私はたまたま実家に帰っていました。
なんという運命なんだろうと思いました。
仕事の関係もあって、当初の予定以上に滞在することは叶わず、通夜も葬儀も参列することはできませんでしたが、通夜の前にお顔を見に行くことができました。
お線香をあげさせてもらって、これまでのお礼を心の中で伝えることができました。
もしこの時にご拝顔もお礼も言えなかったとしたらと考えますと、いつまでも何かしらの後悔の念が残っているのではないか、と今でも思うことがあります。
「祖母の従妹」の葬儀に参列したいなんて、たぶん普通の感覚だと「え?」って思われる方もいらっしゃるのではないかと。
ですが、お世話になった方、大事な方は、人それぞれです。これまで生きてきたなかでのご縁ですから。
葬儀社に勤めているからなおさらなのかもしれませんが、スタイルや呼び方は「家族葬」でも「一般葬」でも、そして「直葬」でも何でも良いと思うのです。
どんなスタイルであっても、後悔の念が残らないこと、またご縁のあった方々に対してもそう思っていただくことのないようにすること、それが大事なのではないかと。
最近、葬儀は「縁切り場」のように言われることがあります。
そんな淋しいことはありません。
私は葬儀の場というのは故人が提供してくれた、縁を感じ、縁をつなぎ、このご縁をくださった故人に感謝する場ではないかと思っているのです。
小規模が良いとかそういうことではなく、送る側としてはお世話になった方、大切な方、自分が手を合わせて送らせてもらいたいと思う方、送られる側であれば、家族や親族に限らず是非とも一緒に見送っていただきたいと方、そんな皆が集まり、偲び、きちんと気持ちを込めて送れる、そんなお葬式であることがやはり大切ではないのかと、亡き「祖母の従妹」を偲びながら思うのです。