その責任を肝に銘じて 大阪生野(天王寺・東住吉・北・福島・堺市北区)の葬儀社 創業140年の老舗葬儀社社員の思い
先日、私が担当させていただいた、あるご葬家のお話です。
喪主を務められるのは、亡くなられたお父様と同居されていた息子様。
ご家族はこのお二人だけとのことでした。
お打合せの冒頭に喪主様は、いま現在、事情によりお仕事をされていないため、「一般的なお葬式はできそうにない」とお話されました。
喪主様はあまり多くを語られず、お打合せはすすみ、お通夜、ご葬儀は執り行わず、お別れをゆっくりしてご出棺をする形にすることになりました。
その他には、ご要望を言われることもなく、お打合せを終えました。
しかし、お打合せを終えてしばらくしてからお電話をいただき、「やっぱり最後にお花を入れてあげたい」、またその翌朝には「なんとかお湯灌をしてあげたい」と、喪主様よりご依頼をいただきました。
お打合わせの時とは全く別人のように、並々ならぬ想いを感じさせるほど、しっかりしたお声でお電話をいただきました。
そしてご出棺の当日。
お柩の蓋を開けて綺麗なお顔を見るなり、喪主様は堰を切ったように、すぐに声を上げて涙を流されました。
「ごめんな、一緒に暮らしてたのにその場に居れなくて、ゴメン」と死に目に会えなかったことを悔やみ、お父様に詫びておられました。
「葬儀社さんに全部やってもらって、結局俺は何もしてない、情けない息子で本当にゴメン」
この言葉を最後に出棺の時間となりました。
お骨上げも終わり、喪主様と少しお話をさせていただきました。
落ち着きを取り戻された喪主様が「葬儀社さんに任せっきりで何も立派なことはできなかったけど親父は喜んでくれたかな?」と呟かれたのを耳にし、ハッとしました。
私は、さまざまな思いの中、この瞬間まで何かしらの自責の念に駆られ続けていらっしゃった喪主様に、「はい、間違いなく喜んでいらっしゃいます」と力強くお声を掛けました。
私自身の義父を無くした際のことを思い出したとき、金額のことや規模のことではなく、力強く、きっとこういう風に声を掛けてもらえたら嬉しかったのではないか?と思い、このように伝えました。
その時、喪主様は初めて私の前で微笑んでくれました。
そしてお骨となったお父様に「あなたの息子で良かった、幸せでした」とお言葉をかけておられました。
もちろん人それぞれの価値観によるものだとは思いますが、ご葬儀という一大事において、また急な状況下で、ご家族の思いをきちんとお聞きし、ご提案することの難しさと、それに対する大きな責任というものを改めて気付かされました。
私自身が相手様のお話を額面通りに捉え、そのままご葬儀が終わっていたら?と考えますと背筋が凍る思いがいたしました。
それほどまでに我々は大切な仕事をしているのだと…。