葬儀は「教育の場」といわれます。
予てより私もスタッフとして、そして自身の身内の葬儀を経験するなかで、改めて感じさせられるご葬儀がございました。
喪主様のお嬢様が、小さな男の子を連れて参列されていらっしゃいました。
男の子はいつもと違う雰囲気に少し興奮気味で、お母様に注意されてもお構いなしで、元気に式場を走り回っておられました。
開式時間が近づき、お母様に「いい加減にしなさい!」と、きつく怒られるとちょっと拗ねて口を尖らせながらようやく席に着かれました。
そして司会のナレーションが始まると、先ほどまでお子様を宥めすかしていたお母様は、ナレーションで回想される実母との思い出が、お母様を一人のお子さんに戻したかのように感極まり泣きだされてしまいました。
すると、そのお母様の様子を傍らでみていた男の子がびっくりして、「どうしたの?お母さん、どうしたの?」と、お母様の腕を引っ張りながら心配そうな顔で見つめて、お母様に尋ねていました。
「あのね、おばあちゃんが死んじゃったから、お母さんは悲しいの…」とお母様が答えると、
「大丈夫?泣かないで、泣かないで」と男の子がお母様の頭を撫で始めました。そんな男の子の優しさに、お母様は更に泣いてしまわれました。
すると男の子はトイレに走って行き、ペーパータオルを手にお母様のところへ戻り、お母様の顔をゴシゴシ拭き始めたのです。
思いがけない男の子の行動にお母様も、周りの方も思わず吹き出されてしまわれました。
お母様の笑顔を見て少し安心されたのか、「もう泣かないでね」とお母様の横にチョコンと座られたときのお子さんのお顔は、ちょっと大人びていた気もしました。
普段の生活ではお母様が泣くところなど、見たことがなかったのかもしれません。
突然の出来事に、お子さんも目で見て、雰囲気を感じて、「何かただごとではないんだ」ということがわかったのでしょう。
あれだけはしゃいでいた男の子が急に大人しくなり、必死でお母様を慰めようとする姿は、可笑しくもあり、可愛いらしくもあり、男の子の姿をご参列されて方は暖かく見守っておられました。
お母様の涙が引いても、「お母さんは僕が守るんだ」と言わんばかりに、お母様の手をぎゅっと強く握っておられました。
そんな優しくたくましさを感じさせてくれた小さな騎士も、さすがにお骨上げから戻られた時はぐっすり寝ておられました。
小さなお子さんが、一つの命を送る場で、いままでに感じたことのない経験を通して情緒を揺さぶられ、困惑の中でも「自分がいまできること」を表現したことは、まさに教育の場であると本当に強く感じました。
ただ、このお子さんの行動を見た親側のほうが、自分と親の関係、そして親となった自分と子供の関係、縁のある者同士がここに集まっていて故人を中心に命の伝達が為されているのだと強く感じたのではないでしょうか。
ともすると、最近、小さなお子さんには「故人と対面するのはショックを受けるのではないか?」とか「しつけのなっていないお子さんは葬儀の場では迷惑だ」とか言われることがあります。
それは、我々大人が葬儀の場や命に対して本当に伝えるべきことを放棄したり、妨げているように思ってしまう時があります。
故人が最後に身を呈して我々遺されたものに何を問いかけ、何を伝えたいのか…。
正解はないのでしょうが、それを考え、一番感じなくてはいけないのは、実はお子さんたちではなく、「大人」の私たちなのかもしれません。