私が深夜当番をしているある日のこと、会社に1本の電話が鳴り、葬儀のご依頼がございました。
ご依頼主は当社の店頭に貼りだしている広告「儒教式の葬儀」をご覧になられて、ご連絡をくださいました。
受話器の向こう側には落ち着いた口調の男性で、故人様のお名前や病院の住所などを教えてくださいました。
そして細かな打ち合わせを病院で行うとおっしゃり、受話器を置かれました。
私が病室へ伺うと、そこには白髪の老人がソファーに腰を下ろしながら、
出迎えて下さいました。
ご依頼主と病棟の休憩室へ移動し、そちらでお話を伺うことになりました。
伺うと、宗教上の理由でご遺体を自宅に連れて帰ることができずに悩んでおられるということでした。
私はそれ以外に不安なことやご希望などをお伺いし、近隣にある付添いのできる
ご遺体安置専用施設をご提案させていただき、そちらへ安置することとなりました。
打ち合わせで、安置施設に併設されている式場を利用して通夜・葬儀を執り行うことになりました。
この他、最大のご希望は、できるだけ儒教の形式にのっとって葬儀を執り行ってほしいということでした。
詳しくお聞きしますと、喪主様は一冊の本を鞄から取り出しながら理由を教えてくださいました。
手に取られた本は代々伝わる家系図で、ご家族のルーツがそこに記載されておりました。
喪主様は「過去数百年という年月のなかで代々伝えられてきた宗教儀礼を最近の若者は、
ほとんど知らないし伝える者も少なくなった。皆が集まる、こういう時だからこそ子供達に儀礼を継承していきたい。できるだけ儒教の形式で葬儀を執り行ってほしい」とお話し下さいました。
翌日、私は昼ごろから式場の設営をさせていただきました。
お通夜が始まる1時間前に喪主様やお子様達、お孫様やひ孫様も式場に集まってこられました。
そして、喪主様が皆様に向かって儒教式の礼の仕方やお供物を置く順序などを丁寧に教えておられました。
幼稚園の年長組くらいのひ孫様も親の真似をしながら覚えておられました。
昔はこのような光景が当たり前だったのかもしれません。
親の姿を見ながら、自然と覚えていき・・・
それが受け継がれていく。
「おふくろの味」みたいなものでしょうか。
自分で料理をしますと、無意識のうちに母親の味になります。
私たちは手間の掛かる事は効率的にしたり、もしくは簡略してしまう風潮がございます。
しかし、民族文化などは手間が掛かってもキチンと後世に継承していかなければと、
喪主様のお考えや、お姿を拝見し感じた次第でございます。