年の瀬の記憶
35,6年前の事、近所に住んでいたやさしいお姉さんが、その年の瀬に亡くなりました。
お姉さんが近所に引っ越して来たのは、その亡くなる数年前、当時私はまだ小学生でした。
まだまだ若いお姉さんとそのご主人、お姉さんのご両親の二世帯で暮らしていて、朝と夕方、親子でいつも楽しそうに犬の散歩をしていました。
お姉さんも、お姉さんのお母さんもとてもやさしくて、私は「お姉さん」「おばさん」と呼び慣れ親しんで、やさしい二人は、よく一緒に犬の散歩に私を連れて行ってくれたものでした。
そのお姉さんが入院したと母から聞いた時も、あまり心配にもならず、すぐ元気になって帰ってくるものだと思っていたのですが、お姉さんはなかなか戻ってきませんでした。
時々、タクシーで帰って来る姿を見かけましたが、すぐ自宅に入ってしまい、今までのように気軽に声を掛けるようなこともできず、いつもおばさん一人で犬の散歩をするようになっていました。
その度に、
「お姉さんは散歩に来ないの?」と聞くのですが、
「今日は家で寝ているから、また今度ね」と、おばさんの答えはいつも同じでした。
今思えば、一時退院だったのかもしれません。
その年、冬休みに入って少し経った頃、幼心にもお姉さんの家の様子がいつもと違うのを感じ、どうしたのかと思っていたら、母から、「お姉さんが亡くなったらしい」と聞かされました。そうは言われてもうまく受け止められていなかった記憶があります。現実のこととは思えなかったのです。
その日は大晦日、母と玄関の掃除をしていたら、お姉さんの自宅に黒い車が自宅に横付けされ、喪服を着たご主人とおばさんが出てきて、静かに車に乗り込みました。
記憶は曖昧ですが、母から「いまは手をとめて。手を合わせなさい…」と言われ、お姉さんとおばさんが乗った車を複雑な思いで慌ただしく手を合わせ見送ったことと、母が「大晦日に子供を見送るなんて…」と言っていたことだけは35年経ったいまでも鮮明に映像として覚えています。
翌日、年賀状を取りに外に出ると、いつもの様におばさんが犬の散歩をしていました。
いつもと同じ様に散歩しているおばさんの姿がかえって悲しくなり、まだ幼かった私は、何と声を掛けてよいか分からず、居たたまれなくなり、そのまま自宅に戻ってしまいました。
その後、いつの間にかおばさん夫婦はどこかへ引っ越し、お姉さんのご主人も見かけなくなり、気づけばお姉さんの家の表札は別の名前に変わっていました。
「お姉さんが生きている時から、お姉さんが亡くなったらご両親が家を出ていく約束だったらしいわよ」
「ご主人も一人で大きな家に住んでも仕方ないから、職場の近くのマンションに引っ越したんじゃないかしら?」
と、どこで聞いてきたのか、自信ありげに母はそう言っていました。
年末になると、元旦に一人で犬の散歩をしていたおばさんの事を毎年のように思い出します。
どんな気持ちでお姉さんを見送ったのか?
どんな気持ちで新年を迎えたのか・・・?
今なら、私は何と声をかけるのか・・・。
葬儀社に勤めるようになった今だからこそ、何か気の利いた言葉の一つでも掛けられるかな?と想像しているのですが、葬儀社に勤めるようになったからこそ、言葉を掛けることなんて今の方ができないな、と思っています。
それよりも、迷惑かもしれないけど、一緒に犬の散歩をさせてもらえば良かったな、と考えてしまうのです。
そして35年もの年月が経ち今思うのは、おばさんがまだどこかで、楽しく生きていてくれたらいいなと、寒空を歩きながらふと思うのです。
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