私達は毎日の様に、どなたかのお葬儀のお手伝いをさせていただいております。
生まれて間もない赤ちゃんを亡くされ、憔悴しきったお母様もいらっしゃれば、「大往生だったね」と参列者に声をかけられ「大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きたなぁ」と明るく答える100歳のお母様を亡くされた息子様など、本当に様々な方がいらっしゃいます。
しかし、どの方にも共通している事は、皆さま多かれ少なかれ、何かしらの「後悔」「心残り」の気持ちをお持ちだということです。
ご遺族の方とお話をさせていただくと
「もっと一緒に出掛けたかった。桜が咲いたら花見に行こうねって、言っていたのに・・」
「ずっと食べたがっていた饅頭を最後に食べさせてあげたかった・・・」
「ずっと家に帰りたがっていた。家で看取ってあげたかった」
「すっと飲みたいっていっていたビールをお供えしてもいいですか?」
など、皆さまそれぞれの心残りの言葉を何かの拍子に口にされます。
その中でも、私が忘れることができない話があります。
その方はどんなに仕事が忙しくても、時間を見つけ毎日必ずお母様の病院へお見舞いに通ったそうです。他愛もないお話をされるだけの日もあれば、時間があるときは車椅子で散歩に出かけるなど、時間の許す限り、お母様と過ごされたそうです。
お母様がお亡くなりになった日も、仕事が休みで天気も良かったので、車椅子で散歩に出かけよう、ということになったそうです。
「休憩の時に飲む飲み物買ってくる、お母さん何が飲みたい?」
「うーん、何か冷たいジュースがいい」
というたわいもない会話が最後の会話になるとは、まさかその時、喪主様は思いもしなかったと呟く様におっしゃいました。
喪主様が自動販売機にジュースを買いに行っていた、わずか5分足らずの間にお母様は息をひきとられたそうです。
あまりに突然の出来事に、初めは何が起きているのか理解できず、ただ病院に言われるまま行動したそうです。
少し落ち着いて、ベッドに寝ているお母の頬にそっと触れたとき、
「お母さん、死んだんだ・・・。何であの時、ジュースなんて買いに行ったのだろう?何で一人にしてしまったんだろう?なんで・・・」
と次から次に後悔が押し寄せ、涙が止まらなかったそうです。
後日、喪主様とお話をする機会がありました。その際に、
「四十九日を終え、納骨を済ませた今でも、もしも、あの時お母さんのそばを離れなければ、最後の瞬間に立ち会えたのに」
「毎日病院に通ったのに、一番大事な時に、しかもすぐ側にいたのに立ち会えなかった
事が今でも心残りなんです」と話して下さいました。
私は葬儀の仕事に携わるまで、後悔や、心残りは誰しもが抱く感情で、時間とともに薄れていく感情、もしくは自分の心のどこかで折り合いをつけていくことなのではないかと安易に考えていました。
毎日仕事に追われる中で、ほんの少しの時間を見つけ毎日病院に通い、かけがえのない時間を過ごした母娘でも、最後、たった5分の出来事で、この先も娘様は罪悪感に苛まれるのだと思うと、なんともやるせない気持ちになりました。この話をされた時の喪主様の表情を私は今でも忘れられません。
見るからに憔悴されている方、明るく振舞われている方、どんな方もどこかに必ず「心残り」はあるのだ、その「心残り」は私が考えていたような安易なものではないということを痛感させられました。
「ひとつとして同じご葬儀はない」
この気持ちを忘れることなく、かわかみ葬祭の社員として胸を張って、様々なお客様と対峙させていただこうと、強く思うのでした。