戦争の記憶とともに
戦争を経験した方々にとって、おそらく8月は特別な思いを馳せる月だと思います。
船乗りだった私の祖父も戦争を経験した一人で、終戦は外国の海の上で迎えたと聞きました。アメリカ兵の捕虜となり南の島へ連行されたそうです。
幸い生きて日本に帰ることができた祖父ですが、8月になると「今年も8月がきたか・・・」とよく言っていた気がします。
私が子供の頃は、おじいちゃん、おばあちゃんに戦争の話を聞こうという夏休みの宿題が必ずといっていいほどありました。
祖父が私に話す戦争の話は、「おじいちゃんが捕虜で連れていかれたのは南の島だから
暖かかった。アメリカ兵に隠れて毎日バナナを食べて、元気に働いた。バナナは栄養満点。
もし、シベリアにでも連れていかれたら、寒いし食べるものもなくて、おじいちゃんは死んでいたかもしれない。運がよかった。」
と毎年バナナを食べていた話ばかり聞かされました。
そんな祖父が一度だけ真面目な戦争の話をしたのは、祖父の弟が亡くなった時でした。
終戦間際、空襲は激しさを増し、祖父が乗船する船も昼夜問わず狙われたそうです。
深夜に甲板で見張りをしていると、目の前の船が空爆にあい、爆音とともに真っ赤に
燃え上がり、あっという間に沈んでいったそうです。
翌朝、海面に浮かぶ無数の死体と、船の残骸が波にゆられているのを、ただただ見ていたと・・・。
沈んだ水死体は、一度だけ水面に浮上し、その後沈んでしまったら、二度と浮上することはないそうです。それが分かっていても、海面に浮かぶ仲間を船に引き上げることもできず
遺品も遺髪も日本に連れて帰る事が出来ない、情けなかったと話していました。
弔う事もできず、仲間を外国の遠い海に置き去りにすることしかできない無力感と罪悪感。
8月が来るたび思い出すと・・・。
祖父の弟が亡くなったのは8月でした。
「無事に送り出せてよかった、いい葬式だった、あいつは幸せ者だ」
と繰り返していた祖父の言葉を今になって思い出します。
当時は、葬式に、いいも悪いもあるのだろうか?と思って聞き流していました。
あの頃の私は祖父の言葉を深く考える事もなく、なぜ今頃になって真面目に戦争の話をしたのだろうか?くらいにしか思っていませんでした。
葬儀の仕事に携わるようになって、あの時の祖父の気持ちが少し理解できる様になった気がします。年々あの日の祖父の言葉が重みを増すように思えることもあります。
今思えば、何でも食べる祖父でしたが、バナナを食べているのは、見た事がないような気がします。今年ももうすぐ8月になります。これを機に私自身、改めて人を弔う意味、葬儀というものに真摯に向き合おうと思います。