祖父への感謝
日々、ご葬儀の現場に携わらせていただいている私ですが、ふと自分の身内の葬儀のことを思い出します。
「ふと」、というよりは葬儀という仕事に就いている以上、毎日のように思い出すのです…
黄ばんだ障子紙をはがしたら、桟に「右」と書いていた。懐かしい祖父の字だった。
祖父が障子を張り替えた時ものなのか・・・?
不意に現れた祖父の形跡、可笑しさと、懐かしさ、寂しさと、何とも言えない複雑な気持ちだった。
祖父は亡くなるまでの2年間を病院で過ごした。
明け方、トイレに行こうとして、転倒し、病院にはこばれ大腿骨骨折と診断された。
手術をしたものの、術後のリハビリは高齢の祖父にはきつかったようで、断念した。自力で座ることができなくなった祖父は、誤嚥防止のため流動食になった。
「家に帰りたい」「ご飯を食べさせろ」と散々悪態をついていたが、いつの間にかそんな事も言わなくなり、やがて思う様にしゃべる事もできなくなり、本当の寝たきり老人になってしまった。
手足は痩せ細り、床ずれができ、睡眠時間も長くなった。年寄りは転んだら終わりというが、本当にそうだと思った。
祖父が入院してからの2年間、私たち家族には様々な葛藤があった。
決まった時間におむつを交換され、決まった時間に管から栄養を入れてもらうだけの生活は、祖父にとってはたして幸せなのか?
病院からの帰りの車の中で、祖父を病院に残して帰る事が辛くて、祖母と泣いた日もあった。
「元気になったら、家に帰ってご飯を食べようね」
と言い我儘をいう祖父をなだめたが、ただの願望であり、そんな日が来ない事は皆わかっていた。
「頑張ろうね、」と祖父に話しかけるたび、律儀な祖父は「はい」答えた。
90歳半ばの祖父に、これ以上頑張れと言うのは酷だと思う反面、次のお正月も一緒に迎えたい、お正月が過ぎたら誕生日も一緒に、と願っていた。
祖父の様態がよくないと連絡があり、急いで病院に行ったのは、祖父と祖母の70回目の結婚記念日の前日だった。酸素マスクをして苦しそうに息をしていたが、手を握ると、握り返してくれた。
翌日、祖父は何故か回復し、酸素マスクを外してもらえた。
「おじいちゃん、よく頑張ったね。今日は結婚記念日だよ、忘れたらばおばあちゃんに怒られるよ。」
と言ったら、いつも通り「はい」と答えてくれた。
これが祖父との最後の会話になった。
その日の夜中に祖父の様態は急変し、明け方、息を引き取った。
病院から連絡を受け、家族が駆けつけるまでの間、祖父が一人で苦しんでいたのかと思うとたまらなかった。
最後に祖父は何を思い、旅だったのか?祖母の声は聞こえていたのか?
長い間入院して、散々わがままを言って家族を困らせたクセに、様態が悪くなってから亡くなるまでは、ずいぶんあっさりしていた。
本当は病院にはとっくに飽きていて、もっと早く家に帰りたかったのに、家族の為に、ずっと頑張ってくれていて、そして最後に結婚記念日まで頑張ってくれた。私が結婚記念日を忘れたら怒られるよ、と言ったからなのか?家族思いの祖父らしいと思った。
色んな事が次から次へと頭を巡ったが、ゆっくり考えている時間は意外と短かった。
母は家族葬にすると言っていたが、田舎の狭い集落でそんなことができるはずもなく、気づけばご近所の方が次々とお参りに来ていた。インターホンが鳴るたびに、ため息がでたが祖父は意外と人望があったのかもしれない、と思うとほこらしかった。
毎日の様に、葬儀に携わってきたが、葬儀を出すのは初めてだった。こんなに大変なのだと実感した。
あわただしく葬儀が終わり、家に帰りお骨になった祖父に「おかえり、おじいちゃん」と話しかけてみたが、返事はなかった。
おじいちゃんは死んだんだなぁと思った。
ふと、鏡台を見ると祖父が愛用していた資生堂のブラバスが半分以上残っていた。毛もないクセに、頭皮に擦りこんでいる姿を思い出し、涙がでた
病院から持って帰ってきたパジャマもそのままになっていた。洗っても、祖父はもう着る事はないと思うと、また涙がでた。
あれから1年、祖父の物はまだ捨てられない。酸化しきったブラバスを祖母は仏壇に置いている。
ふとした瞬間に祖父を思い出し涙が出る、不意に現れる祖父の形跡に気持ちが揺れる。そんな事を繰り返し、あっという間に1年が経った。
祖父の形跡は、まだどこかに隠れているだろう。
それを見つけて泣いたり、笑ったりを、もう少しだけ繰り返そうと思う…
こんな感情を、もちろん全く同じ感情ではないにしても、大切な人を亡くされたご家族は持たれていらっしゃるのだろうと思います。
しかし同じではないが、私にはこの経験があるからこそ、ご遺族に対して「私だからこそできる対応」というものがあると、祖父の最期を通じて、そんな思いに気付かされました。
だから、いつまでも祖父にありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになります。そして葬儀に携わらせていただいているご遺族はもちろん、故人様にも感謝の気持ちが生まれるのだと思います。