備えあれば憂いなし
終活ブームといわれて、結構経ちます。
ただ、本当に自分のこととして取り組むとなると、やっぱり実感が湧かないかもしれません。
どうしても自分の終わりを考えるわけで、自分の終焉を想像するというのは、人間ですから今までは、
頑張って生きていこう、自分のため、配偶者のため、子どものため、社会のため、前向きに生きてきたのですから、なんだか終活は後ろ向きな活動に
思われたり、見て見ぬ振りしたい気持ちにもなるでしょう。
そこで、自分でも考えてみるわけです。自分が最後どうしたいか?死後、妻や子供に迷惑をかけることはないか?
確かに実感は湧きません。
何しろ、その前にまだまだやらなければならないことが山ほどあるからです。
そう、やらなければならないことが沢山あるんです。
ということで、真剣に自分が万一のことがあったら、を考えると、逆に今しなければならないことも見えてくるわけです。
人間以外の動物は、人間にくらべ短い生涯を送る中で、最後を意識して生きているように思います。
つまり、よく言われますように、生と死は表裏一体、
だからこそ、今日一日を生かされている、だからこそ精一杯生きる、ということの大切さがわかるのでしょう。
若いとき、ほんとうに先の話だったことが、当然年追えば、意識せざるをえなくなります。
ただどうしても、ギリギリまでそんなことは考えたくないでしょうが、動物と違い、必ずそのときは誰かの世話にならなければならないのが、人間です。
ただひとに迷惑をかけないために考えるだけが、
終活ではありません。
残された人生、若い方なら人生設計としても考えてみることが出来ます。
そのとき葬儀社もライフプランナーとして、様々な方々にアドバイスできる位置にいないといけないのだと思います。