地力
改めて、最近の不可解な事件を考えてしまうことがありませんか?
朝の出勤や登校の時刻に、急に刃物を持って暴れだしたり、我が子が同じような事件を起こすのではないかと自子を殺めたり、何を思ってか、警官を襲い拳銃を奪い逃走する、それ以外にもまだ幼い子供を虐待してしまうなど。
マスコミはいろんな論調を翳していますが、いまだ訳もわからず自分の子供が殺められた親の気持ちになったら、正しいとか間違っているとか、あるのだろうかと。
こういった事件を見たとき、いつも思うのが、どうやって弔うことがよいのか?と。
ただの犠牲でしかないのか、と。
世界では、未だに戦争や内乱により不条理な死や貧困に巻き込まれている子供たちがたくさんいます。
そこに、それでもきっと葬儀は存在するものだと信じています。
お金をかける、かけないではなく、なぜ人を送るのかの究極の状態であるような気がするのです。
人の誕生と死は、真逆でありながら通ずるものです。
ゆっくりと大切な人を偲び送ることができるということ自体が、一つの幸せなのかもしれません。
あくまでも、個人的な意見ですので。
ただあまりにも、理解できない、他人ごととは思えない悲しい別れが多すぎると、こんな仕事に携われば携わるほど敏感になってしまいます。