大きなお葬式
何が大きくて、何が小さいのかわかりませんが、たいていは「人数」と「費用」のこと。
でも、長いこと葬儀社で勤めておりますと、これだけでは片付けられないご葬儀は、たくさん経験しているわけです。
人数が本当に数名であっても、できる限りのたくさんのお花や装飾に費用をびっくりするほど掛けられるご家族もいれば、かなりの人数が参列されても、ご事情により極力シンプルに祭壇などは選ばれる方、これは大きいか、小さいかではなく、どちらも「素敵なお葬式」なわけです。
日本では日本なりの文化や地域性も相まって、またそこに宗教儀礼も加わることで、さまざまなお葬式文化が出来上がってきたわけです。
最近は町会などのコミュニティーもどんどん減ってしまい、実空間に人が集まり、地域のことなどを地域で考え進めていくという文化は、消滅してしまうのではないか?と思うくらいです。
面倒だ、プライバシーが、人付き合いが苦手、時間を取られる・・・など、コミュニティの運営の仕方にもいろいろと問題はあったのかもしれませんが、そこをうまく解消し今の時代ならではのコミュニティ形成は必要なんだろうなとつくづく感じます。
これは、様々な社会問題に関わっているし、社会問題に関心が薄いのも、これが助長している部分も多いにあると思います。
個を大切にすることと、仲間意識と、縦社会的なことなどが絡み合って、面倒となる。
これが、冠婚葬祭の儀礼文化を「面倒」と片付けてしまう要因にもなっているのでは。
海外の葬儀とよく比べられますが、海外の方がたくさん人は集まられているようです。いいのか悪いのかは一言で片づけられませんが、悪いこととはどうしても思えないわけです。
参列する側が、形式的なことで、葬儀の場へ言っているようには海外ではみえませんが・・・。
そんなことを思う本日は、一般的にいうところの大きなお葬式という部類に入るお葬式のお通夜がございました。
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