自己保存
自己保存の本能は誰しも人間である以上、持っていて当然。
しかし、これが過剰になると、全てを否定的観点から入り、そしてロジックとして、自分のなかで正論だてられると、そこに対して追及を始める。
ただし、たいていは「自分に責任が及ばない範囲」でしか動かない人が多いですが。
自己犠牲という考えを持つのは、よっぽどのことなのでしょう。
いや、犠牲の範囲が人それぞれ違うから、まあ仕方がないのかもしれませんね。
すべてのことがビジネスライクに考えられるのであれば、そうかもしれませんが、どこか欧米にある個人主義といいますか、そのあたりを勘違いしている輩が増えてきているのも気になるところですが。
明日はクビになるかもしれない、という環境で働いている国と、いまの日本の環境をイコールで捉えるわけにいかないわけで。
どんなに自分の考えを主張したところで、結果がなければ、ファイヤーと宣告されるとする環境下では、主張の仕方も自ずと変わるでしょう。
特にサービス業において、また葬祭業において、その自己保存と自己犠牲に対する個々の考え方は、大いに仕事内容、結果に反映されると個人的には考えています。
コロナ禍で大変な職種、業種もたくさんあります。コロナといういわば大災害だからこそ、国に対してもいろいろと聞き入れてもらいたい、というところもあるでしょう。
大災害である以上、国民を守ってもらう義務は国にもあるでしょうし、権利も主張せねばならないとも思います。
ただし、こういうことはこれからの先行きを国のために、世界のために、という考えのもと共存共栄の精神があってのこととも思うのです。
助けてほしいが、普段は国政に無関心ということが、今後こういうことで変化していってくれたら、と切に思います。
会社組織も同様です。普段、何もない時は無関心、何かあると会社組織に問題ありのようなスタンスの会社員って結構いますよね。
とはいえ、これが資本主義の論理。
儲かる人がいれば、必ず損している人がいる。
この儲けと損が、公平に成立しているのであれば、何もお金のことだけでなく、良いことだとは思います。
滑稽な自己保存にならないよう、気をつけていきたいものです。