穏やかな気候が続き、櫻の蕾が開き始め春の気配を実感し始めてきました。
外を歩くと少し汗ばむような気温で外に出掛けられる方も多いように感じられます。
私も休日の日課として公園をジョギングしていますと、大学生のカップルが手を繋いで楽しそうに散歩をしていたり、お父さんが小さな娘さんと手を繋いで滑り台で遊んでいたりと、その情景だけで心が和みます。
手を繋ぐという行為はシンプルな愛情表現であり、お互いを認め合う第一歩と言われます。
初めて彼女や彼氏と手を繋ぐときの緊張感や喜びは一生忘れることはない素敵な思い出だと思います。
禅宗の言葉で「把手共行(はしゅきょうこう)」という禅語があります。
「手をとって共に行く」という意味合いで、仏と自己が調和し一体となり、手に手をとって生という旅をつづける。この仏と一体であるという喜びこそ「把手共行」の喜びだと道元禅師は説いておられます。
この「手を取り合う」という言葉を聞くといつも思い出す、忘れられないご葬儀があります。
奥様がお亡くなりになられ、喪主はご主人。
ご夫婦には、娘様が二人おられ、葬儀の打ち合わせについてはご主人より娘様主導で進んでいくような感じでした。
やはり女性同士なのか「お母さんの好きな花を飾ろう」「柩の中に洋服を入れてあげよう」など沢山の話題が出てくる中、喪主様はあまり多くを語らず娘さんに任しておられました。
喪主様の唯一の希望は「親族だけで静かにゆっくりと送ってあげたい」ということで、
家族葬ができる小規模なホールで葬儀を行うことになりました。
その日は通夜式場に各地から親戚さんがお見えになられ、一人ひとりに喪主様から挨拶をされておられました。
あまりお話をされない物静かな方だったので、一人ひとりに丁寧に挨拶に行かれている姿がとても印象に残りました。
通夜の後、喪主様と少しお話をさせていただき、その中で「お通夜前に丁寧なご挨拶をされていましたね、気苦労でお疲れになられたんじゃないですか?」と伺うと、「今までは妻がしてくれていたので初めて妻の苦労を知りました」と照れ笑いしながら小さな声で話してくださりました。その後も色々とお話をさせていただき、その日は喪主様と私の距離が少し近づいたような気がした夜でした。
翌日、綺麗な青空の下、葬儀は重々しい雰囲気のなか粛々と始まっていきました。
これで最後のお別れだと感じておられるのか、昨日の賑やかなお通夜の雰囲気とは一変し悲しみの中で皆様がお焼香を済ませてゆかれます。
娘様お二人は終始ハンカチで目元をおさえうつむき、ご主人はじっと遺影に目線を合わせ静かに座っておられました。
お寺様の読経が終わり、故人様とのお別れの時間になりました。
お柩の蓋を開けさせていただき、皆様が柩を取り囲むように集まられ思い思いに故人様とのお別れをされています。喪主様はお花を一握り奥様のお顔の横に手向けられ、その場から一歩下がり見つめておられました。
出棺の時間が近づき、娘様に促されるように喪主様が柩の傍に屈まれ奥様の手を優しく両手で握られました。
言葉などは無く、ただ、ただ、しっかりと奥様の手を握っておられました。
私はこの光景が脳裏に焼き付いてしまいました。
ただ手を握るだけなのですが、この一瞬がご夫婦のすべてを物語っているように思えたからです。
四十数年の結婚生活のなかできっとたくさんの喜びや悲しみを経験されてこられたご夫婦。
物静かなご主人ができる奥様へ最後の愛情表現だったのではないでしょうか。
一人では歩けないような不安な時でも、誰かが手をさしのべてくれたらそれだけで心強いものです。
長年連れ添った夫婦でも、その一体感をどこかに置き忘れてしまっている人たちもいらっしゃるかもしれません。
私たちはこの世に生まれ、老い、病にかかり、やがて旅立ってゆきます。そんな世の中を共に喜び共に悲しんでいく。共に手を取り合って生きてゆくということ。
ご葬儀という悲しみの中で垣間見たご夫婦の絆を忘れることはありませんし、
今でも、そしてこれからも私の糧となっています。