「死の認識」
生物学上、死を明確に認識しているのは人間だけだと言われています。
だからこそ、葬儀といういかにも人間らしい習慣が生まれ、そして現在まで脈々と受け継がれてきたのでしょう。
その「死」を認識するのはいつなのでしょうか。
私の場合は小学校5年生の時、祖父が亡くなって棺の中で動かない姿を見たとき「あぁ、
もうおじいちゃんと話すことはできないんだ」と初めて死を認識した、と記憶しています。
恐らく、ほとんどの人が身近な人や有名人の死を目の当たりにして認識するのではないかと思います。
そういう意味で葬儀は、確かに情操教育の場でもあるのだと感じます。
葬儀というのは、結婚式や誕生日会、卒業式などいわゆるお祝いの儀式(セレモニー)と比べますと、規模やスタイルの違いはあれど、必ず最後は「誰もが通る道」ではないかと思うのです。つまりお祝いの儀式は敢えて「やらない」という選択肢もとれますが、葬儀はその選択肢がある意味ないのではないか、と。
またお祝いの主役は、その本人(たち)ですが、葬儀の場合、宗教儀礼があるときの主役は故人ではなく宗教家になります。
そういった意味でも、葬儀はやはり特殊なセレモニーといえるかもしれません。
スタッフとして毎日のようにご葬儀を見ておりますと、稀に宗教家や故人以上に存在感を光らせるものが現れる時があります。
その存在感の主は、大抵の場合、「子供」特に小さなお子さんのように思います。
上手にお手紙を読み上げてくれたり、頑張って折ってくれた折り紙を自分で棺に入れてくれたり、手を合わす大人を真似て手を合わせた可愛い姿を見せてくれたり。純粋無垢な姿が参列している大人を涙と笑顔を混ぜたような心洗われる気持ちにさせてくれます。
私は、とても可愛らしく、また自分以外の人が「死」の認識をしたんだろうな、と思わされる、忘れられないご葬儀に担当者として立ち会わせていただきました。
親族様のみ20名程のご参列でした。故人様は享年で100歳。喪主様からは悲しく送るのではなく、100年間も頑張ってきたお母様にお礼を伝えながら明るく送りたいとのご要望でした。
参列者の中には故人様のひ孫にあたる1歳から5歳までの可愛い参列者が5名いました。
元々が幼稚園だったこともありホールの外には滑り台のついたジャングルジムやブランコがありますので、可愛い参列者達は大はしゃぎ。
特にお通夜は、普段は外で遊べない時間に、普段はあまり会えない親戚の子供達が集合しているので、少し興奮気味で、遊具は順番待ち。
それぞれのご両親が、内々とはいえ、ご葬儀の場ということもあり、とても大変そうにされているのが印象的でした。
その中に私にたくさん話しかけてくれる女の子がいました。
名前はリカちゃん(仮名)。5歳。
お喋りの上手な子で普段の幼稚園の様子や最近買ってもらった自転車の話などを、屈託のない笑顔交じりに私に話してくれました。
特に故人様とはよく公園に連れて行ってもらっていたようで想い出をいくつも教えてくれました。
祭壇の遺影写真も故人様がリカちゃんを抱っこしているお写真で、それはそれはお二人とも優しい笑顔でした。
翌日の葬儀は昨日の遊び疲れなのか子供達は眠そうな顔。
粛々と住職のお読経が終わり、最後のお別れの時間。
皆様必死で明るい表情を作っておられますが、やはり頬には涙がつたい、それぞれにたくさんの感謝を伝えておられます。
その様子を見たリカちゃんが不思議な顔をしながらお母様に「なんで泣いているの?」と聞き、「もうおばあちゃんと会えないからやで」と説明されました。
その瞬間、リカちゃんの中で何かが繋がったのか、ハッとした顔をした後に大号泣。
故人様のお顔近くから離れなくなってしまいました。
お母様がなんとか引き離し、いざ霊柩車へお連れする際も大人の男性達の先頭にいつのまにかお母様から逃げ出したリカちゃんが並んでいました。
男性達もとても優しい笑顔で「リカも手伝ってくれるんか」「重いぞー持てるかー」と声を掛けておられます。
リカちゃんにも手を添えてもらいながら霊柩車へご上棺。
霊柩車の扉が閉まった瞬間、声をあげて泣きながら走り去っていくリカちゃん。
もの凄いスピードで滑り台の階段を駆け上がりそしてスーッと滑り降りてきてそのままの姿勢で天を見上げて大号泣。
その姿を見て参列の皆様は「滑る必要あった?」と大爆笑。
リカちゃんのあどけなくもあり、その存在感で、とても明るく優しい雰囲気がその場を包み込み、皆さんが思い描いておられた、「明るく送りたい」というご要望がかなえられたのではないでしょうか。
この時、ご葬儀の意義を感じさせられました。
故人様が人生において大切なことを、本当に身をもって未来ある子供たちに教えてくれる場でもあるのだと。
命というものの尊さや、別れの悲しさ、そして思い出につながれる優しい気持ち。
この小さな子供が、溢れる感情を小さな胸の中で整理し、自分の中で「死」を故人様といっしょに受け止めたのだろうと思うと、担当者という立場であっても胸がキュッと締め付けられたあの感覚を今でも思い出します。
このような貴重な体験、そしてその場に居合わせたことに、故人様にもリカちゃんにも、このご縁に感謝する気持ちでいっぱいになりました。
これからも様々なご葬儀に携わらせていただくとき、この経験はきっといつも思い出されると思います。
そんな感謝の気持ちをリカちゃんに伝えようと、お顔を覗いたら、泣きつかれたのでしょう、弟のベビーカーを独占して爆睡中でした。
その寝顔は、故人様と遊んでいるときの夢でも見ているのかな?と思えるほど、なんだか楽しそうな寝顔でした。