徳は孤ならず必ず隣あり
本日も事前相談やお問い合わせなど、いろいろな場面でお客様と
お話をさせていただきました。
私たち葬儀社も、企業である以上「商売」をしているわけです。
商売という言い方をすると、なんだかお金儲け的な感じを受けがちですが、
仕事とはそういうものですから仕方がありません。
いろんな仕事があり、我々のようなサービス業もたくさんの会社があります。
我々サービス業は、お客様の反応が現場にいるスタッフがすぐに肌で感じられる
仕事です。
後々、「よかったですよ」と言っていただけたり、逆に「もっとあのときはこうして
ほしかった・・・」というお声をいただくことも勿論あります。
我々は現場で、急な対応に迫られることがあります。そこをいかにお客様の希望や
考えにそって対応できるか。
これには、経験や知識の部分も多分にあるかとは思いますが、それ以上に
スタッフの人間性が問われる部分でもあります。
人間性ももちろん、たくさんの学習の上に成り立つものでしょう。
お客様は、いろいろと大変な状況に置かれていらっしゃいます。
その方々に接するものとして、人間的にまだまだだと思う毎日です。
人との関わり方や接し方は、本当にいつまでも何年たっても勉強だと感じます。
人間性を高める努力は一生続くのでしょう。
数年ぶりにひどく風邪をひいてしまいました。
今年こそ造幣局の桜を見に行こうと
思っていたのですが、今年も行けません。
そして、4月も半分が過ぎました。
あたらしく何かを始めるにはよい時期なので、
いろいろと考えていたのですが、結局まだです。
先日、自宅の本棚を整理していて
新しいことを始める前にと、
家にある本を読み返してみようと思いつきました。
入社した当時に勉強しようと購入した本や
最近、実家から持ってきた気に入った本も久しぶりに開きました。
以前読んだ時と今とでは、趣味嗜好がかわっていて
また新しい発見があります。
さて、私たち業務課はお客様にお渡しする資料を
日々準備しています。
その資料を見ながら、ご質問のお電話があった場合に、すぐに取り出し
ご説明をしなければなりませんので、
整理整頓がとても大切です。
資料の中身も、私たちの回答も最新の情報になっているか
皆で確認してみようと思います。
ぼつぼつ暑い季節になってきました。
そんな中、弊社には今日もたくさんの方が、事前の相談にお見えになられております。
この頃の相談内容は、ごじしんのことが一番多いですね。
やはり残された方に負担にならないように準備をされたいとお考えの方が多いようです。
どんな些細な質問でも構いません、
お気軽にお声をお掛け下さい。
とうとう桜も散り出してまいりました。
毎朝近くの公園を掃除しておりますか、桜の花びらでいっぱいです。
車で移動しておりますと入学式の園児、児童達が、お母さんと手を繋いで歩く光景をよく目にします。
私もこの業界に入って四年目ですが、いつの間にか仕事に馴れ過ぎていないかと気を引き締められます。
今一度、二度とやり直すことのできない葬儀という職業に携わっているという事を再認識し、初心に戻って精進してまいります。
4月も半ばにさしかかり
ようやく暖かくなった気がします。
気づけば桜も満開です。
昨日、偶然通りかかったお寺の前に
子供を叱るな
皆通ってきた道だ
老人を嫌うな
皆通る道だ
と言った張り紙がしていました。
なるほどなぁ、と思う言葉でした。
「老婆心ながら」とことわって一言つけ加えたり、忠告したりする場面に出くわすことがあります。言わずもながでしょうが、とか、おせっかいとは思いますが、という意味なのでしょう。
「老婆心」とは老婆が子供や孫を愛撫し、いつくしむように、師匠が修行者に対してあたたかく導くこと。その心が深く厚いことを意味する仏教語だったのです。
それが度を越して、必要以上に世話をやこうとする気持ちを表す言葉となっていったようです。
度が越えないようなお世話を考えて行動して参ります。
浅田真央さんがフィギュアスケート競技を引退されましたね。
紛れもなく日本のフィギュア界のみならずスポーツ界を盛り上げた方ですね。
彼女の演技をテレビでみては、ハラハラドキドキしたご経験がある方も少なくないでしょう。
幼いころから打ち込んでこられたわけですから、引退という決断をあの若さでされるというのは
本当に凄いことです。
ものすごい経験をされてきたことでしょう。
私のような凡人では図り知ることのできない努力や苦悩や、または喜びもあったことでしょう。
しかし、一つの道を突き進んでこられたことに才能以上のものを感じざるを得ません。
葬儀のプロとして努力を・・・という話ではないのです。
人生のターニングポイントというのが誰にでもあるかと思います。
今の時期ですから、卒業や入学、入社や転勤、退職、などで大きく人生が変わった、
または大きいとは思ってなかったけど、あそこが変化点だったのかな?なんて考えた
ことがある方もいらっしゃると思います。
ご葬儀の際に、故人様がこんな方だった、こんなことがあってその後違う人生を歩まれた、
などいろんなお話を聞くことがあります。
もちろん、一つのことを何十年と最後まで貫かれた方だっていらっしゃいます。
私は、現時点で「あのときは・・・」と後悔していることがあります。
ただ、人生というスパンで見たときは、現時点でのことであり、そのことも含めて
「あの選択でよかったんだ」となるよう努力をしているわけです。
葬儀の仕事に携わってありがたく思うのは、仕事の経歴だとか功績だとかではなく、その方の
歩んでこられた人生のほんの少しではありますが、経験されたことなどを垣間見れることも
一つです。
そんななかで、故人様を見送られる葬儀において、「後悔」させるようなことがあっては、
絶対にならないということです。
今朝は風の音で朝早くに目がさめました。
雨と風が強くて桜も少し散ってしまっているかもしれません。
暖かくなったと思ったら、まだまだ肌寒く感じますが、
毎年、気づかないうちに桜の季節も終わっています。
さて、もうすぐゴールデンウイークですね。
弊社は年中無休ですので、あまり関係ないと思いがちですが、
取引業者さん等がお休みとなるとそれに合わせて
前もって準備したり、注文したりしなければなりません。
日頃からも「今日って何曜日だっけ?」と思う事もよくあります。
私たちは、スタッフ同士もそうですが、いろんな方々とかかわって
お仕事をしています。
周りの動きをよく見てよく聞いてよく話すことは
どんなお仕事でも大切ですが、
特に私たちはお客様のお話しをよくお聞きすることで
様々なご要望に気づくことができます。
皆さまが御満足いただけるように
よりよいサービスがご提供できるように
日々、聞くチカラを身につけたいと思っています。
長くご葬儀の仕事をしていますと多くの別れと出会いを経験します。
毎朝、公園でお会いする近所のお爺さん、お昼ご飯で利用する定食屋さんのマスター。
昨日も以前からお世話になっている町会長の奥様がお亡くなりになられました。
お会いさせていただくと、いつも冗談まじりに楽しくお話してくださった方です。
急なお別れで残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
桜が満開になりあちらこちらで花見をされているところも拝見できるようになりました。
とはいえ、もう今週が花が咲いている時のお花見は最後ではないでしょうか。
時を同じくして駅前などで見かけるようになったのは、真新しい服を見にまとい
歩いている姿です。
入学を迎える学生や就職したての新入社員の姿です。
私にもずいぶん昔、そんなときがあったなって振り返って見たりしますが・・・。
いつも上記の光景を目にすると、初心に返らせていただくことができたりします。
葬儀に携わる者として、一度リセットをして、心新たにすることも大切なことだと痛感いたしております。
「所詮、有象無象の集まりだよ」などというように、「有象無象」は世の中にいくらでもいる種々雑多な、つまらない人間を意味する語句です。
「責任の所在がうやむやになる」という「うやむや」は、いいかげんなこと、曖昧なことなどを意味します。また、「有無を言わせない」とは、つべこべ言わせず、いやおうなしに、という意味で一般に使われています。
仏教では、有象無象は有相無相とも書き、有形無形の一切のもの。森羅万象をいうのです。
古いインドでは、物質には実体が有るか無いかなど、いろいろな命題をめぐって、有無の論争が展開されていました。つまり、「有耶?無耶?」と問うのです。
これに対して、お釈迦さまは、有に固執する常見も、無に固執する断見も、ともに偏見だとして、中道に帰すことを説かれました。つまり、「有無を言わせない」教えでした。『正信偈』にも「悉能摧破有無見」とあります。
仏教の語句から一般の日常語になったのですが、随分、違った意味になりますね。
明日は花祭り、お釈迦様の
誕生日です。
私の地元のお寺では、毎年
4月8日から一週間
法要が行われます。
私は仕事で参加することはできず、
祖父も高齢で行く事ができないので、
昨日少し早めにお寺にご挨拶に行きました。
本日は、雨が降りそうで降らなさそうで、ついに降りだした、
という感じの一日でした。
今日は、各地域で入学式があったようで、そんな格好の
親子を見かけたりしました。
私どもは仕事柄毎日のように喪服を見るわけです。
喪服を着用された方々をみると、お手伝いさせていただいて
いるお家の方か?それともお知り合いか?と気になる
わけです。
しかし世間一般の平常な生活のなかでは、喪服の方々をみかけると
ご不幸があったのだと、当たり前ですがそういう感想になるわけです。
喪服イコール黒は、いまでは当然のようなことですが、もともとは
喪服の色は白が当たり前だった時代もあるのです。
喪服も変遷を考えると、恐らく黒の時代よりも白が当たり前の
時代の方が長いのかもしれません。
黒が定着していますが、今後どう変化していくのかわかりません。
こういった変化は日々のなかではわかりませんが、どこかで
劇的なきっかけがあるものです。
喪服の変化の歴史をたどると、その時代の葬送の歴史も見えてきます。
その時代ごとに、色々な背景から、お葬式の形態も変わってきています。
お葬式の形態は、その時代の鏡のようなものだと感じます。
今日はお天気も良くて事務所の近くの公園では
お花見を楽しんでいる人たちがたくさんいて
気持ちいいだろうなぁと思いながら見ていました。
さて、先日事務所の前で声をかけていただいて
お客様とお話しておりましたら
「一度お話を聞きにいこうと思っていながら、
まだまだ先の話だと思って先延ばしにしてしまって」と
おっしゃっていました。
たしかにお葬式のことは、聞きにくいものですね。
今は、事前にご相談される方が増えています。
お近くにお越しの際にでも
お気軽にお声をおかけください。
日中、すごく暖かくなってきて車中では冷房をつける位になってきました。すっかり春日和です。
先日は会社の町内会の花見のお手伝いをさせていただきました。
普段お顔はお見かけしますが、中々触れ合える機会はございません。
他にも町会のふれあい喫茶にも参加させていただいております。
お見かけしましたらいつでもお気軽にお声をかけて下さい。
何か葬儀についてわからない事やご不明な事のご相談などでもかまいませんので。
だいぶ春らしくなってきましたね。昨日はお花見している方もおられたようです。
蕾のところも多かったのではないでしょうか?
花見の時期は毎年難しいですね。
葬儀もまた前以て準備をせておくものではないので、いざという時タイミングがなかなか合わないものです。
どんな状況にも対応できるように
ちしきは持っておきたいものですね。
弊社ではそんな方のためにいろんな資料を揃えておりますので、まずはご来店ください。
お待ちいたしております。
年度末や年度始めには「ハンコ」を押す機会が多くなりますね。元号が改められた年には「ハンコ」は大活躍をしました。
印はインド語で「ムドラー」といい、標章を意味する言葉です。
仏教の教えの旗印、スローガンを「法印」といいます。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三教説を三法印。これに一切皆苦を加えて四法印といいます。
仏像を拝むと、左右の手や指で、種々の形をつくっているのに気がつきます。中には、持ち物がある像も見受けられます。仏や菩薩がその悟りや誓願の内容を具体的に表したもので「印相」といいます。手や指で表すのを「手印」といい、密教では特に重んじているようです。「印を結ぶ」という言葉もあります。
禅宗などでは、弟子の悟りを認めることを「印可」といいます。そこから芸道などで、師が弟子の熟達に対し与える証明のことになりました。
このように、「印」は大切なしるしです。ハンコを押す時には慎重に-。
ようやく暖かくなってまいりました。
車で大阪城公園の近くを通っていますとたくさんの人々が花見で賑わっていました。
またこの季節の変わり目は気温の差が激しい時期です。
体調管理には気を付けてください。
さて、本日はご葬儀が終了したお客様のご自宅へ集金に参りました。
精算が終わり、少しお話をさせていただきますと、葬儀後の手続きが大変だとおっしゃられておりました。
何をするにも死亡診断書や戸籍謄本などの書類が必要で役所ばっかり行かれてるそうです。
「悲しむ暇もないわ」
とおっしゃられておりました。
確かに手続き関係が落ち着くまでは大変だと思います。ただ見方を変えれば葬儀という非日常から残された遺族が日常に戻る為の作業ともいえます。
悲しんでばかりではいられない。
生活をしていかなければなりませんから。
そうはいっても手続きは大変です。
その為に私達葬儀社がおります。
ご不明な事、ご心配な事がありましたら葬儀が終わった後でもお気軽にご連絡してきて下さい。
一日でも早く日常に戻れるように私達もサポートさせていただきます。
一日で2回お布施の額について質問がございました、
一周忌のお布施の額は?49日のお布施の額は?
ひとつの目安として、初七日の時にお渡ししたお布施の額を参考にされたらよいと思います。
お気持ちで、お車代、お食事代を足されると丁寧です。
開式前に、私達は
「携帯電話は電源を切るかマナーモードにしてください」
とご参列の方にお願いします。
携帯電話を持っている事を前提に話をするくらい
携帯電話は普及しています。
ふと、お亡くなりになった方の携帯電話はどうなるのだろう?
と考えました。
調べてみると、亡くなった事を証明できる書類を持って
お店に行くと解約できるそうです。